企画室長兼事務管理室長 日比敦郎
先週の続きです。
※過去4回はコチラをご覧ください。
その1 その2 その3 その4
関ケ原古戦場のイベントではYoutuber「れきし君」と非常に有意義な時間を過ごすことができました。また会いにいきたいと思います。
イベントまで2時間ほどあったので、せっかくなので陣跡巡りをしようということになりました。
私に「どこがいい?」と聞かれたのでノータイムで「小早川秀秋」と回答しました。
関ケ原中心部から最も離れている松尾山であることは理解していましたが、GoogleMapで計測するとなんと5km、しかもこれは直線距離なので登山を考慮すると、間違いなく片道2時間コース(大人)なので敢え無く断念しました。
結局近場から細川忠興→黒田長政→桃配山(家康最初陣地)と回ることにしました。
最初のうちは関ケ原合戦に登場する武将の知識自慢をしていた娘たちですが、距離を歩くうちに疲労の色が濃くなり、特に二女は無口になっていきます。
黒田長政・竹中重門陣跡がある丸山烽火場から桃配山までは2㎞と少し離れていることもあり、お腹を空かせた二女はついに立ち止まってしまいます。
2kmなら普段の通学距離+@程度なのですが、ゴールが見えないというのはつらいのでしょうか。
そんな気まぐれでわがままな二女を尻目に、桃配山までの何の変哲もないバイパス道路を歩いていて思ったのが、周りを見てもどの軍勢がなにをしているかなど全く分からないということです。
だからスマホなんかない戦国時代の足軽たちは簡単にデマで扇動されるわけですね。
一方、陣跡は全て山か丘の上にあるので、他の陣営の動きがよく分かるのです。当たり前のことなのですが、こうして歩いてみると改めて理解できました。
わずか2km、細川忠興陣跡から含めても3㎞弱のはずですが、アップダウンもあってか家族全員ヘロヘロになりつつも桃配山に到着です。
やはりここも小高い丘になっていて、現在は色々な建造物もあって見晴らしはよくありませんが、遠くの宇喜多陣営まで見通すことができそうな感じでした。※実際、家康の最後陣地は宇喜多軍や小西軍の目と鼻の先です。
結局、この日はれきし君とのイベントを含めると、
古戦場記念館→細川忠興陣跡→黒田・竹中陣跡→桃配山→東首塚→古戦場記念館
(れきし君と)古戦場記念館→決戦地→笹尾山→島左近陣跡→石田三成陣跡→徳川家康最後陣地(イベント終了)
→島津義弘陣跡→開戦地→小西行長陣跡→笹尾山
※笹尾山をおかわりしたのは、謎解きゲームクリアのため
という総行程恐らく6kmくらいを踏破しました。
かなり疲れました・・が、実際に歩いて見聞したことは忘れないですね。
娘たちもへとへとになっていましたが、次回は是非大谷陣跡や小早川陣跡を見たいとのことでしたので、登山準備をして臨みたいと思います。
疲労状態で黙々と歩いていると、戦国時代の人々に想いを馳せる・・気がしたイベントでした。
翌日、私の足の裏には巨大な水疱が・・・筋肉痛にはなりませんでしたが皮膚が悲鳴を上げました・・。