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足助病院コラム

Asuke Hospital column

2019/06/21 

Vol.12  「震災体験の風化」  JA愛知厚生連 企画係長兼経営管理係長 秀野功典

執筆 外部の皆様

先日、山形県沖を震源とした大きな地震がありました。
幸いにも死者は出ず、甚大な被害は免れました。しかし、津波注意報が出たことにより、東日本大震災の甚大な津波被害を思い出した方もいらっしゃることでしょう。

私は、足助病院が属するJA愛知厚生連の本部に勤める事務職員です。
2年前までは系列の安城更生病院にてDMAT(災害派遣医療チーム)の一員として活動していました。
2011年3月11日の東日本大震災当日、私は出張で宮城県の石巻赤十字病院にいました。
病院到着の約2時間後に地震が発生し、今までに経験したことのない揺れと生命の危険を感じました。後から分かったことですが、津波も近くまで到達しており、今思うとゾッとします。
帰る手段が無くなった私は、DMAT隊員である素養を生かし、被災病院の手伝いをしながら、超急性期の災害医療を経験しました。通信手段も絶たれ、家族とは丸3日間連絡がとれず、大変心配をかけました。
そんな被災体験をした私でも被災の記憶は日々風化し、防災意識は下がっています。
しかし、先日の地震による津波注意報を目の当たりにし、東日本大震災時の悪夢のような津波被害や被災地の惨状の記憶が恐怖とともによみがえりました。同時に自身の経験を風化させてはならないと強く感じました。

「被災者と救護者の両者を経験したDMAT隊員」として、様々なところでお話する機会をいただいていますが、震災直後に熱い想いで伝えていた情熱を失いつつあります。
当時の資料や映像をもう一度見直し、「語り部」として後世に伝えていく使命を全うしたいと思います。
この地域では、南海トラフ大地震の発生が危惧されています。震災以外にも異常気象による集中豪雨や台風被害が甚大化しています。

「災害は忘れる前にやってくる」時代になっています。防災意識を高めていきましょう。
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