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足助病院コラム

Asuke Hospital column

2021/01/08 

Vol.50  「百人一首」 川崎 貴之

執筆 外部の皆様

日本のお正月には、伝統的な遊びが色々ありますね。
たこ揚げ、コマ、羽根つき、福笑いなど。
今では懐かしいと感じるようになってしまった遊びもあるかと思います。

その中で、私がお正月の遊びで最初に思い出すのは、百人一首です。
私の生まれ育った地域では、お正月に子供向けの餅つき行事と百人一首大会が開かれていました。
そのため、家庭でもよく百人一首をやったものです。

百人一首は100人の歌人の短歌が1首ずつ、計100首まとめられたもので、最も有名な「小倉百人一首」は、鎌倉時代初期の歌人の藤原定家が、それ以前に詠まれた100首を編集したものです。
1番から100番まで番号が付けられていますが、おおよそ時代ごとに古いものから並んでいます。

最初(1番)は有名な歌ですが、
「秋の田の かりほの庵(いほ)のとまをあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」
という、天智天皇(大化の改新を起こした中大兄皇子)が読んだとされている歌です。
実はこれは詠んだ人が分からない「詠み人知らず」の歌とも言われていますが、最初が天智天皇というのが象徴的だと思います。

 一方、最後(100番)は
「百敷や 古き軒端(のきば)の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり」
という歌です。
これは鎌倉時代初期に朝廷の復権を目指して執権の北条氏と争い、承久の乱で敗れて佐渡へと流された順徳院(順徳上皇)の歌とされています。
古びた家の軒先を見て、その古さよりも朝廷が栄華を誇った時代は遥かに昔のことだろうなあ、と過去を想う歌です。

つまり、小倉百人一首は大化の改新から承久の乱まで、中世の朝廷政治の時代をほぼ全て網羅しています。
そしてその最後に、その時代を懐古する歌で締めくくられるわけです。なんとも粋な並べ方かと思いませんか?
こういう見せ方の工夫一つで完成度が変わることは結構よくあることだと思います。
なので、何事も手を抜かず細部までこだわりたいものです。
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