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足助病院コラム

Asuke Hospital column

2021/05/14 

Vol.54  「お弁当の時間が好き、気づけばお弁当で育っていた」  野村賢一

執筆 外部の皆様

この春、ぼくの職場が変わったこともあり、新しい職場になってからはお弁当を持参する生活となった。
これまで38年弱食べていた昼食は?というと、職員食堂とか、売店のランチメニューだったのだけど、それがぼくの出勤時刻が遅くなったので女房に無理を言ってお弁当を頼んだのだ。還暦を過ぎたぼくがいまさら愛妻弁当(?)なんていうのもちょっと赤面する。でも、お昼、茶色の袋から弁当箱を取り出し、今日のおかずは何だろうと期待し、四角い弁当箱の白いご飯の中に沈む縮こまった梅干しが視界に入ると、あの当時のお弁当の記憶が甦るのであった。
高校生の3年間はお袋のお弁当を学校にもっていき、昼食の時間に仲間たちと食べていた。そのお弁当にはウィンナーとか、卵焼きとか、大抵いつもの常連が陣取っていた。だいたいは昨夜の残りものが一つ、二つ、混ざっていた。夕飯の時間にキッチンに顔を出すと、お弁当用のおかずがあらかじめ小皿に確保されていて、あ、これは明日のお弁当になるのだな、とか思いながらお袋の後ろ姿とともに、ぼくは微笑んで眺めたものだった。お弁当自体もその日その日のお袋のコンディションに左右されて、中身がちょっと違っていたように記憶している。
エビフライやハンバーグや焼肉の入っていた日などはスペシャル感いっぱいだった。ご飯に、梅干し、卵焼き、おしんこだけ、という日も結構あった。おかずがご飯領域まで侵入しているような贅沢な日もあった。
でも、やはり、冷たくなったご飯のあの食感が忘れられない。おかずが少なくてもご飯だけは大盛りでないと気が済まなかった。
野菜がちょっと苦手だったぼくだけど、お弁当に入っている野菜はあまり残さなかった。どうしてか、隣の肉団子とか筑前煮の味が染みていて、野菜も肉の味がしたりして、ぺろっと食べてしまい、そのうちだんだん野菜を好きになっていった。
さりげなく入っているたくあん一枚がめっちゃ貴重な時もあって、少しずつかじって食べながら、どこか、食べ物の大切さを学ぶことができた。結局、ぼくはお弁当を毎回完食していたっけ。冬だって冷たいご飯なのにぜんぜん苦にならなかった。
お弁当の時間、それは人生を彩る素晴らしい時間でもあった。お弁当って、もちろん蓋を開けた時に、華やかなものがあればいいのだけど、お弁当という習慣は毎日の、根気が勝負のご飯なので、彩りというよりも日々の暮らしの今が、優しくいつも盛り込まれているところがまたいい。
いつもの卵焼きとか定番があることは大事で、カフェに行くといつもいる常連客みたいな安心感がある。そこに新参者が混じって、新鮮味が加味されると、ご飯にかかるふりかけも、たまに違ったりしていると、たちまち嬉しくなる。日々のお弁当にそういう目玉おかずが添えられたりする日は、たとえば、リンゴやバナナ、あるいは茹で卵がひとつ、おまけでついていたりする日なんかは、ぐ~んとぐ~んと笑顔が増すものだ。
5月は新年度が動き始め1か月経つので心に余裕が出てくると思うが、そのような一息付ける時にこそ、お弁当の中に小さな新緑の薫りを見てしまうものである。
ぼくはお弁当が大好きだ。あの箱庭の中にこそ、コンビニ弁当では味わえない愛情空間があると思う。
お弁当の蓋を開けるときは、コンサートがはじまる瞬間に似ているし、蓋を閉じる時には、コンサートに幕が下りる瞬間でもある。そのステージが日々を彩っている。梅干しとたくあんと昨日の残り物の揚げ物が一つあれば、白ご飯弁当は天下一のうまさになる。自分自身のために作るお弁当もその時の自分を励ますために作るのがいい。

懐古するのはここまで、さてさて、昼からの自分に元気を与えたいと思いながら弁当箱のご飯とおかずを目前にして、感謝とともに、さぁ、いただこ。
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