スノーボードのハーフパイプ決勝で平野歩夢選手が大空に向かってジャンプする。澄み渡った青空を背景に縦横無尽に宇宙遊泳するその雄姿は圧巻そのものだった。
その日の午後、ぼくは自宅から五キロ先の自販機までランニングをし、そこで休憩がてら水分補給かねて温かい缶コーヒーを飲料しようと考えていた。
ポケットから硬貨を取り出した時、前方から軽トラックがマフラー音を響かせ近づいて来た。どうやら畑仕事の帰りのようで、車内には老夫婦が乗車していた。
運転手は車を止めると席から降りぼくの傍らにやって来る。
「どうぞ、お先に利用して下さい」
「じゃ~、使わせてもらうよ」
おじいさんは自販機の中の見本パッケージを選別しながら、
「走っているのかい」
ランニングウエアーを着ているぼくの姿を見てこう問う。
「お腹が出て来たから」と応えると「がんばるね、それなら健康的だ」
おじいさんはぼくに甲高い声でこう返答したが、その瞬間、
「あっ・・・」という素っとん狂な声を発するのだった。
その声と同時に、お茶缶が自販機の取り出し口にすべり落ちて来た。ぼくは何が起きたのかと頭の中が白くなった。
「冷たいお茶、買ってもうた」
右足の太ももを拳でたたくおじいさん。ホット缶ボタンと間違え冷缶ボタンを押してしまったのだ。
「まいったなぁ~、あれほど気を付けていたのに・・・」
おじいさんは黄色い帽子をとり、ぼくの顔を覗き込み笑顔をこしらえる。
ぼくの身体はちっとも熱くなかったけれど、ぼくの口をついて出た言葉は「冷たいお茶飲みたかったので、温かいお茶買います、交換しましょう」となっていた。
「悪いね、こうだで、歳は取りたくないよ」
おじいさんは顔の皺をくちゃくちゃにさせ頭を下げる。助手席にいたおばあさんも同様に頭を下げてくれる。ふいにぼくの肩と腰の力が苦笑いでゆるむ。二月の上旬のからっ風が二人のあいだをつつっと吹き抜けていく。
軽トラックが走り去ったあと、ぼくは冷たいお茶缶を口にくわえ上空を見上げた。缶の先には青空が広がっていた。立春を過ぎた青空は平野歩夢選手を際立たせた北京のブルースカイ色と何ら変わらなかった。ブラボーな色そのものだった。