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足助病院コラム

Asuke Hospital column

2021/04/21 

Vol.107  「地域の課題⑥ ~情報共有-その1~」

執筆 名誉院長 早川富博

医療・福祉介護・保健情報の共有化のきっかけは、福祉介護関係の方々から、利用者に関する医療的な問い合わせの多さに閉口したからです。
デイサービスに来ているAさんに感染症はないか、内服はどのようなものか、血圧が高ければ入浴は中止していいか、など書類がたくさん来ます。
これらの情報は基本的なものですので医療関係者と福祉介護関係者が共有すべきものです。

病院にもカルテがありデイサービスにも利用者のカルテはあります。
両者の基本情報は同じであるべきですが、本人から聞き取って記載するわけですから間違いが出てきます。
それなら両者が共有できるカルテを作ればいいのではと考えたわけです。
それも電子カルテ風にパソコンを使ってです。

1998年に足助町を中心に旧東加茂郡の4町村で検討を始めました。
足助、旭、下山、稲武の行政担当者と社協担当者と小生で1年ぐらいかかり中身の検討をしました。
当時はヘビースモーカーであったので、院内で喫煙できる院長室に皆様が集まり、煙がもうもうの中で侃々諤々の議論をした記憶があります。
その御蔭でしょうか2000年に胃がんが見つかり、胃全摘手術を受けました。
その時、当時の仲間(行政の係長や保健師さん)が名古屋市立大学まで見舞いに来て頂いたことを思い出します。

そのように苦労して作ったシステムを訪問看護師、ヘルパーさんたちは利用され、患者さん(医療関係者はこう呼び)、利用者さん(福祉関係者はこう呼び)の情報を、パソコン上のシステムで見て、チェックして、仕事に出かけることが出来、帰ってから利用者の情報を書き込むことができるようになりました。
緊急性のない利用者の情報、例えば褥瘡が出来ましたということが写真とともに記載される、ことが出来ました。
一種の伝言板でありました。(もちろん緊急なことは電話で連絡)

しかし、2000年4月に介護保険制度が始まると、このシステムは利用者の抱え込みになるから使わないようにと国からの通達で、本当の伝言板システムだけにして残ることになりました。

介護保険が始まり10数年経過した今、お国は連携・情報共有、多職種連携を推進するように言っています。
こんなことは20年も前から小生たちは行っていたわけです。
やることが早すぎたのでしょう。

つづく...
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