MENU
green

足助病院コラム

Asuke Hospital column

2021/12/15 

Vol.140  「対話 その③ ~対話とは~」

執筆 名誉院長 早川富博

前回は、患者さんの「自己決定」には、医師による十分な説明と同患者さんの同意が必須で、究極の対話であると書きました。

「対話」の対称語は「独語」です。
大事な「説明と同意」の場面で、時に「独語」になっている医師がいます。
一方的に話するだけで患者さんからの質問にも、難しい医学用語を並べて話すので、聞く患者は黙ってしまいます。
二人の会話量は9:1ぐらいでしょうか。
これでは「対話」になりません。
医師の「独語」です。

相互理解を深めるにはやはり「対話」が必要です。
「対談」「鼎談」は対話ですので気論が深まり、楽しいですね。

一方、「講演」は一方通行の話っぱなしになるので、小生はあまり好きではありません。
講演内容が果たして聴衆に理解されているか否か?は不確かなのです。
多数の聴衆(50人以上)の場合は最悪です。
その時は聴衆の中から知っている人を見つけて、質問をしてその人と対話することで、他の人々にも参加した気分を味わってもらうようにしています。

しかし舞台の上で講演している時はこの方法も難しいですね。
聴衆と同じフロワーで話することが大事と思ってます。
サロンでの話を頼まれることは、苦痛ではありません。
10人前後の集まりですので、皆さんの表情がよくわかります。
大学生時代、アルバイトで塾の講師をしていたので、25人ぐらいまでは目が届きます。

「院長サロン」も10人前後の出席者でした。
毎回テーマは決めずに、参加者の話から話題を広げていく方法をとっています。
参加者は聴くだけではなく、自分も話に参加することを決まりとしていました。
会話をすることが認知症予防に重要との考えからでしたが、ある時、参加者の一人から「話を強要されるようで嫌だという人がみえますよ」と言われました。
一律に話を押し付けることは良くないことに気づきました。
個人、それぞれの性格があります。
最近はダイバーシティ(多様性)を尊重しようといわれているのですから、自分の考えを他人に押し付けるのは良くないのですね。
反省。
コラム一覧へ戻る