私の父が3月20日で、満百歳となりました。
先回は父の自叙伝?(思い出し日記)について途中まで書きました。その続きです。
誕生から始まり、尋常小学校卒業して間もなく名古屋への丁稚奉公、
先の戦争で中国に渡った経験、死なないために通信兵になるべく勉強して試験を受けたこと、
終戦後帰郷して結婚、転職したことなど、
8000字近くの第一部が完成すると、印刷したいとの申し出がありました。
文章の体裁を整えて、印刷のためにSDカードにファイルのコピーを作りました。
このSDカードを近くのコンビニに持参してプリントしてきました。
当然、コンビニのお兄さんが手伝ってくれました。しかし、なぜ印刷するのか?
やはりパソコンの画面だけでは信用できないようです。以前すべて消してしまった経験があるからでしょう。
パソコン上に2つのファイルを開いて、片方からもう一方にコピーすることは至難の業です。
兄曰く「いろんなことを教えるな!」。それ以来、聞かれたことだけに対応することにしました。
教えすぎる自分を反省しました。
(孫の勉強をみている時も同じ経験してます。次々に教えると際限が無くなり子供は勉強が嫌いになりました)。
その父の自叙伝?(思い出し日記)も第3部にもなり、全部で2万字を超えたようです。
その話題が誕生日祝いの席で披露したところ、孫たちは是非読みたいと言っていました。
父曰く「うーん、読まれると思うと書くときに体裁を考えてしまうな!」と。まだまだ色気があるようです。
この遺伝子は小生に繋がっているのでしょうか?