前回はフェイクニュースの定義とその問題について書きました。
ネット社会の浸透で、デマに惑わされるという人間の陥りやすさが露呈されている社会になりました。
一方、自己利益のために利用される「フェイクニュース」があります。
自分のイデオロギーに反する情報や、自分の利益を損なう可能性のある情報をなんでも「フェイクニュース」であると主張することで、
その情報の信用を故意に失墜させようとする行為です。
この策略は、情報の真偽を合理的に調査することなく、その価値と信頼性を損なうことに成功する場合が多いですね。
アメリカのトランプはその最たる例でしょうか。
自分に都合の悪いことが報道されると、「それはフェイクだ!選挙妨害だ!」とツウィッター(今はXですか)で発信することで、それを信じて拡散させるトランプ信者がいるのです。
このようなことが続けば、これはまさにマインドコントロールされた状態です。
無批判的な姿勢がフェイクニュースを拡散させる。
そしてマインドコントロールされていきます。
民主主義は対話を基本としています。
対話で相手の考え方を聞いて、理解して、そして批判的な議論をする。
この繰り返しが重要なのですが、意見が合わないと、「それはフェイクだ」と叫んで、敵対します。
ワンフレーズしか飛び交わない嘆かわしい社会になりつつあります。
フェイクニュースへの有効な対策は、まず個人のメディアリテラシーを向上させることです。
つまり、無批判に外部の規制やフィルターのみに依存するのではなく、情報を自分で検証しようとする姿勢を身につけることが重要なのです。
また、複数の違う見識を持った専門的な意見が交換できるプラットフォームをネット上に作ることも重要ですね。
しかし、スマホを使用している人なら経験があるでしょうが、GoogleにしろYahooにしろ、一度検索をかけると、それに関連する記事が次々と提示され、同じ内容の記事にさらされることになります。
ついでに宣伝も同様についてきます。読みたい本を検索すると、それに類似した、または関連した書籍の宣伝がわんさかと出てきます。
その宣伝はしばらく続きますね。だんだんと一定の傾向のものしか見なくなります。
コントロールされていきます。
怖いですね!時々スマホ画面から閉じて、遠くを見てこれで良いのかと考えみましょう。