実際に起こったことを「事実」と言いますが、その「事実」の確認が難しくなってきたことを、先回書きました。
新聞、テレビという既存のマスメディアはジャーナリズムではないと言われ始めています。
既得権のある既成の権威者(エスタブレッシュ)は多様性の時代には批判される運命でしょうか。
古臭い権威の体制は若者には嫌われるのでしょう。
昔の全共闘運動と同じように、世代間のギャップは常にあるのでしょう。
古臭い権威のジャーナリズムが信用されなくなり、SNSがそれにとって変わるように見えます。
しかしSNS上では誤情報やデマがまん延しています。
そこから事実を見つけ出すのは至難の業です。
SNSによって分断が起これば対話も不可能となります。
他人と関わり合うことがSNS上だけとなり、対話などは時間の無駄と考えられています。
そして事実誤認のまま社会全体が一つの方向へ行ってしまう危惧があります。
多様性を重要視しながら実は短絡的な考え方に流されて行くといういつか来た道になるかもしれません。
事実確認は「見聞」が一番でしょう。自分で見て確認。
これなら自分で納得が出来ます。
自分で聞いたことが事実。
風聞や誰かが言ったことではありません。
直に聞いたことは事実です。
それでは多くの事実が手に入らないと言われるかもしれませんが、信用されなくなった権威的なマスメディアや誤情報やデマの多いSNSに惑わされないためには、「見聞」が重要と思います。
昔、娘たちが何か欲しい時に言う言葉は「みんな持ってるもん、みんな行ってるもん」でした。
この時の「みんな」って何でしょう。