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足助病院コラム

Asuke Hospital column

2025/03/05 

Vol.306 「「赤ひげ大賞」受賞顛末記」その①

執筆 名誉院長 早川富博

2024年11月12日午前9時。
休みを取って釣行中の伊勢湾海上でスマホの着信音(BeatlesのGet back)が鳴る。
スマホをみると相手は小林院長。

何事かと思い電話に出ると、
「大変なことが起きました!」
「医療事故でも起きたのか?」
「なんと赤ひげ大賞受賞の内定の連絡がありました。おめでとうございます」
「へー、ありがとう」

釣りの最中とは言え、何とも間の抜けた返事をしたものです。
その日の鯛釣りで、釣果は小鯛が多かったのですが30匹以上の大量でした。

 いずれにしても翌日病院へ出勤すると、産経新聞の担当医者からの内定の祝いのFaxを確認しました。
赤ひげ大賞への道は、昨年5月に豊田加茂医師会から推薦の打診を受けたことから始まりました。
そして、小生のこれまでの業績を足助病院の事務長がまとめて推薦状が作られました。
後日談を聞くと、ちょっと押しが弱いのではと言われたとか。
しかし、無事に愛知県医師会からの推薦を得ることが出来たようです。
(豊田加茂医師会の重鎮で、かつて愛知県医師会にて多くの功績を残してみえる、小生の先輩が強く推して下さったと聞いています)

「赤ひげ大賞」とは、日本医師会と産経新聞が主催により、「地域の医療現場で長年にわたり、健康を中心に地域住民の生活を支えている医師にスポットを当てて顕彰すること」を目的として」、平成24(2012)年に創設されました。
(「赤ひげ大賞」の命名の由来である「赤ひげ先生」は山本周五郎氏の時代小説「赤ひげ診療譚」をもとにしており、実在のモデルは江戸中期に貧民救済施設ある小石川療養所で活躍した小川笙船です。黒澤明監督によって映画化(三船敏郎主演、加山雄三助演)されたことで広く知られ、貧しく不幸な人々に寄り添い、身を粉にして働く頼もしい医師というイメージを植え付けました。)

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