前回、贈与は受け取ることから始まると書きました。
私が医師になったとき先輩から色々なことを教えていただきました。
当時も種々の教科書がありましたが、多くの先輩たちによる実地での教育が小生の医師としての原型を形作ってくれたと思います。
教えて頂いている時はよく怒られもしたので、厳しくて理不尽なことを言われる先輩だなーと感じていました。
後輩が出来ると、小生が教える側になるので、その時に先輩からの指導のありがたさに気づきます。
その時「受け取る人」になれたのです。
先輩の「御恩」を感じ、そのことに気づいて、それから「差し出す人」になれたのです。
過去の贈与されたことに気づき、未来へ向けて贈与できることになります。
この間に「交換の論理」はありません。
教育全体が贈与で出来ているのでしょう。
教育に結果を期待し過ぎると交換の論理になり、ぎすぎすしますね。
贈与は時間差があることが普通です。
冗長性といいますか、決して合理的であってはならないものです。