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足助病院コラム

Asuke Hospital column

2020/11/17 

Vol.108  「あの時のぼくの語ること今ここで語ること(こんな日もあるさぁ~)」

執筆 足助病院職員

診療協同部長兼薬剤部長 野村賢一

秋の釣りは魚種が多くなり釣り人の心を掻き立てる。
気候だって暑くもなく寒くもなくその上風さえも吹かなければ絶好の釣り日和そのものだ。
海水の色は夏の暑さを砂浜に吸い取られたのか心持ち透き通っている。刷毛ではいたような雲は水平線のかなたにゆるりと流れて行く。

こんなコンディションの日のアジ釣りは最高に楽しい。
ぼくは釣り道具とアミエビの餌と氷をびっしり詰め込んだクーラボックスを所持し、赤い灯台に続く白い堤防の先端あたりでサビキ釣りをする。
この時期のアジは、黄金のアジ、と地元の人達がいうだけあって、体高があり脂がバンバンにのっている。
シラスをたっぷり食べたアジは脂ノリノリの魚体となり魚色は金貨のように黄金に輝いている。
このアジこそ一度食べたら癖になる、激うま鮮魚、舌が乱舞する程の、刺身にした一切れを、醤油につけた途端に醤油の表面が魚油でギトギトに脂ぎるほどのやばい魚なのである。
食べたいのであるならあの場所に行って黄金のアジを釣るしかない。ぼくは自分にそう言いかせて釣り師になる。
1時間半かけて釣り場に車を走らせ堤防をすいすいと歩きのべ竿を出す。人のいない貸し切りの堤防は気持ちいいものだ。 
地元のおじいさん3人がぼくの隣にやってきた。いつも見かける地元の常連の人たちでみな焼けた赤銅の肌色をしている。
その中でおしゃべりなおじいさんがぼくに「どうだ、釣れ出したか」と屈託のない笑顔を浮かべ状況を問いただす。
「ダメだ~、ぴくともしん。回遊なしだ」
ぼくはおじいさん達よりも1時間前から釣り出していたからこれまでの状況をそう告げる。
釣り支度の終わったおじいさん達もそそくさとサビキ釣りの竿を出す。
4人での釣りがここから始まった。もちろん、ご高齢者だからソーシャルディスタンスにはぬかりがない。
4人で一斉にアミエビを海中に放り込んでいるので餌まきは十分だ、釣れないわけがない。けれども4人のどの竿先も曲がりはしない。期待は虚しくなるばかり。
夕まずめ(日没前の時間で魚が餌を食う食活性が高くなる時間)にならないと今日は駄目なのかとぼくは落胆しかける。
どんなにいい道具をそろえてもどんなに上等な餌を使っても、魚が寄ってこなければ釣れない。サビキ釣りは腕の良し悪しなどまったくもって関係しないのだ。
「3日前はこの時間から釣れ始めたのだが。潮の流れもいいしアジが回遊してきても良さそうなのに。おかしい」おしゃべりなおじいさんがこうぼやき始めた。

少し離れたところにある町内放送向けのスピーカから夕焼け小焼けの唱歌とともに、
「広報〇〇です。小学生、中学生のみなさん5時になりました。うちに帰る時間です。・・・・、気を付けて帰りましょう」
田舎のこのあたりでは自然災害の予防、火事の発生、大きな催しがある時など、昔ながらの方法で町内向け広報が使われる。
すると、おしゃべりなおじいさんがこんなことを真面目顔して言うのだった。
「アジはこの広報を聞くと、とるものも取らず急いでこの場に駆けつける癖がある。あっちこっちにスピーカがついているのでこのあたり一帯のアジに聞こえないわけがない」
この放送に反応して、てんでバラバラに分散しているアジに集合スイッチが入り、アジがぼくたちのところに集結するというのである。
「へぇ、ホンマ・・・」
アジに耳があるのかよ。ぼくは怪訝な表情を浮かべたが、でも地元の人が言うのだから期待してしまう。常連さんには敵わないからだ。
しばらく4人は釣りに集中する。海面は夕闇が迫っているせいで光を失い黒ずんできた。涼しい風だけが堤防の上をさすらっていく。さざ波の音だけがいつものように潮騒をつれて響いている。だが、アジの群れは一向に寄ってこない。
ぼくの右隣にいた口数の少ないおじいさんが、携帯電話を取り出し、どこかに電話をかけている。声が小さくて内容は聞き取れない。それを見ていたおしゃべりなおじいさんがこんなことを言い出したのだ。
「いま、どこに電話した?ちゃんとアジのうちに電話した?はよっ、来いって連絡した?」
口数の少ないおじいさんに詰問した。
「番号を間違えた、うちのかーちゃんに電話してた」
「なんだい、こんな大事な時に番号間違するやつがあるか、だからアジが寄ってこないんだ」
カッチーーーーーン。
その瞬間、4人の笑い声が波の揺れの上で大きく弾いた。ぼくはご高齢のおじいさんたちのコミュニケーションにただおったまげるしかなかった。
4人ともボーズではあったけれど大笑いしただけ悔しさも薄れている。
おしゃべりなおじいさんはくたびれているぼくの顔を見て言う。
「あんたは遠くから来たのにほんま残念だったな」
「しょうがねぇーよ・・・生きてりゃー、ジンセイ、こんな日もあるさぁ~」
そう応えるのが精一杯でぼくは納竿する。
黄金のアジは来週に持ち越しだ。気持ちを切り替え次回に運をゆずることにし、ぼくは岐路に着くことにした。
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