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足助病院コラム

Asuke Hospital column

2020/12/01 

Vol.110  「あの時のぼくの語ること今ここで語ること(蔵王山旅日記)①」

執筆 足助病院職員

診療協同部長兼薬剤部長  野村賢一

この話は今からおよそ20年前に書いたパソコンのデータの中に埋まっていたものです。
見つけたとき、懐かしいものが出てきたのかというのと、そんなこと考えていたのかというのとで、今思うと僕自身恥ずかしくもあります。
しかし、確かにあの時その場所に僕がいて蔵王山の展望台には蔵王山旅日記が机の上に置かれていました。(現在は残念ながらありませんが・・・)
日記なんか書く性分ではない僕なのにあの時代こんなことをしたためていたのです。皆様にご紹介させていただきます。


初冬のある夕刻、渥美半島の真ん中にある蔵王山にランニングで登ると、パノラマ展望台の4階の自販機でジュースを買い、喉に流し終え一息ついたとき、僕はとりとめもなく見つけた机の上の旅日記と書かれている帳面に目を奪われた。
夜の帳が下りて辺りは闇と化しつつあったが、僕は展望台の中でその旅日記と共に新しい世界へ進入していくことになる。誰もいない展望台の部屋は仕事からランニングへの扉を潜ってきた僕にもう一つの扉を提供し、別世界を闊歩させる愛おしさを与えてくれる。
その日、6冊ある蔵王山旅日記のどれから読もうか、僕は戸惑った。はじめ、表紙の破れ掛けた一番古そうな旅日記から読み進めようと思った。でも、僕はそうしなかった。今日という現在から1日ずつ過去へ遡って行った方が、その日の自分の行動を思い出すのに都合が良かったからだ。だから、手にしたのは綺麗な最新版の日記とした。
落書きやただの伝言めいた文もあったがそれらを今は脇に置くとして、その中でも僕の心を強く引き留めた話しを思い出してみることにする。記憶に曖昧なところもあるが、ただその日記に書かれていた内容があまりにも刺激的だったので、僕の脳裏には印画紙に焼き付けられた写真のようにきっちりとした輪郭で描写されている。たぶん、この記憶は一生消え失せないであろう。
ところで、もしも機会があってあなたも蔵王山の展望台に立ち入ることがあったら、その中の一角の机の上に置かれている蔵王山旅日記をあなたにも見つけてもらいたい。きっとその日記の数ページを捲るうちにあなたも僕のように日記に対して虜となるであろう。そうなったらあなたは、自分の訊いてもらいたいこと、思っていること、伝えたいこと、教えてもらいたいこと、など色々な想いをこの日記にしたためてみるのも良い。ここは人影も疎らで風光明媚なところだから、誰もが心のひだを新鮮な空気に浸すことが出来るであろう。すると、途端に気持ちが白い羽を持ち、日常から解放してくれるはずだ。そうなったら、その時の一瞬の清楚な気持ちを素早くすくい取り、それが消え失せる前に蔵王山旅日記に書き記せば、感動的な話が残せるのではないかと思う。
僕もあることを書いた。読み返すと、こんなことを書いても良かったのだろうか、と僕は照れくさくもなった。でも僕は旅日記の仲間に加わった自分のことを後悔していない。
僕は日記1ページに定年退職後の自分の生活風景をぎっしりと夢のような暮らしとして書いたのである。

○月○日
私は40歳に手が届きそうなもう若くもないサラリーマンです。この蔵王山から見えるジャスコの横の田原文化会館からランニングして来た者です。へぇ、走って登ってきたの、と驚かれることでしょうが、何らびっくりしないで下さい。走ることが私の趣味なんですから。
皆さんみたいにラブラブの恋文をこの日記に書くわけにはいかないのですが、皆さんの綴られたお話を読んでいるうちに私も何か書きたくなりました。きっと、皆さんの生き生きとした青春に私の心が刺激を受けその結果、日記に向かわせたのだと思います。
恋人と一緒にいるときのあなた方から溢れ出る熱いエネルギーに私はいつも感動しています。近頃ではこのような感動に出会えるからこそ、わざわざこの山頂まで登って来るくらいなのですから。
ところで、私は定年を過ぎたら二つのことを是非ともやりたいと思っています。どうして突然、定年後の話を書こうとしたのかその理由を言いますと、それは中年のおじさんになるとどうしても多方面に使える筈の自由時間が、歳を追う毎に制約されていくからです。ですから、もう一度あなた方みたいに青春を謳歌したくて、それで一気に定年まで時間を推し進め、定年後に私が何をしたいのかを書こうと思ったのです。20代の皆さんには私の内面など十分には理解できないと思いますが、私のような気持ちを持っているサラリーマンは多かれ少なかれいられると思いますので、私のことを特別に変なおじさんだと思わないで読んで下さい。
まず、定年後に私は新聞配達をしたいと思っています。私はランニングを趣味にしていますから、それをこれからも続けるならば、60歳になっても10キロそこそこの距離を走破しても何ら息切れしない身体だと思うのです。きっと私は定年を過ぎても足腰には自信を持っていることでしょう。
そんな肉体を維持できたなら、私は早朝の新聞配達を小遣い稼ぎ程度にこなし、生活にリズムを持たせようと思っています。
ここでなぜ私が新聞配達を選んだのかと申し上げますと、現在月に数回は早朝ランニングをしているからです。
四季折々の早朝は色々な顔を私に見せてくれました。人が点在しない広い道、地面にそっと舞い降りている綿菓子のような靄、朝焼けの光りの中に恥じらいを見せる白い月、大気と水分とが程良い加減に混じり合っている新鮮な空気、肺胞の隅々で暖められた白い吐息、体内に籠もったゆうべの汗が玉のように滴る頬、昨日と今日の境界線を渡り歩く曖昧なひととき、等々。私を真新しい1日の始まりに招待してくれたのです。
時には風雨や風雪のために厭になることもあると思いますが、それは一時の辛抱だと自分を我慢させ新聞配達をこなそうと思います。
そして、たまには自分の書いた駄文を家で何枚かコピーし、それを新聞の中に折り込んで配るのです。そうすることにより、配達人と購読者との意志の疎通を図りたいと思っています。集金で家に伺い、そこの家の人と自分の書いた話の内容で意見が交換できたなら、何て素晴らしいことなんだろうと、私は想像するだけでも気分が高揚してきます。間違いなく、定年後の新聞配達にやり甲斐を感じるに違いありません。
しかし欲張りな私は、一年中、新聞配達を欠かさずにこなそうとは毛頭考えていません。夏場になれば新聞配達を一時休暇させてもらい、信州の標高千六百メートル程度の山麓で避暑生活を送ろうと考えています。
誠に単純な思いつきだと言ってもいいほどのこの発案は、昨年、家族4人で蓼科の高原キャンプへ行ったときに、私はハタと思いつきました。そこではたった2泊しか、しなかったのだけれども、私は安城の酷暑のせいで日課のランニングが思うようにできず苛立っていましたので、この高原へ来たときの嬉しさといったらそれは感慨もひとしおで、その快適さに私は得も言われぬほどの満足を受けていたのでした。
ですから、私は退職金をはたいて山荘風の丸太小屋を買い、女房も一緒に連れて、カラ松や白樺の木立に囲まれた大自然の中でひと夏を過ごしたいと願っているのです。
別荘での1日の生活スケジュールを考えるだけでも、私の気持ちは定年後まで一気に飛翔します。朝は6時に起床し、寝起きの悪い女房を叩き起こしてやり、それから私は丸太小屋の外に出て澄み渡る空気をいっぱい吸い、ランニングのための軽い準備体操をします。身体が爪先から頭の天辺まで目覚め、筋肉が柔らかくなってきましたら、さぁ出発です。山道を気の向くまま俗事に捕らわれることなく駆けめぐるのです。短くても1時間はランニングをしようと思います。そして、良い運動をしたあとの朝食。ご飯と目玉焼きとウィンナーと野菜、飲み物に牛乳があればそれで早朝ランニングで消費したエネルギーは取り戻せます。
9時からは木漏れ日の下でお昼まで読書をします。たぶん、余分な金はないと思いますので、気に入った本を古本屋で百冊ほど買い、その中から一冊ずつ、文学青年が夏休みに文庫本を読み耽るように毎日読むのであります。
そして、昼からは昼寝。夕方になれば陽の暮れる前にもう一度ランニング、それから風呂に入って、飯を食って、吸い込まれそうな星空を眺めて、天然クーラをばんばんに利かせて9時には床につくのであります。
週に一度は山里に下りて、食料品と日常生活品を買いだめに行かなくてはなりません。この買い出し作業も、また格別であり、山の生活をしている私達には砂漠の中でのオアシス発見に類する愉しみをもたらしてくれると思うのです。
みずみずしく、つややかに、のびのびと、そして、私と女房の残された老後の貴重な時間は私達の赴くままに規則正しく健康的にしかも誰にも規制されずに山麓で使用できるのです。なんて素晴らしいことなのでしょうか。まるで、この暮らしは現代版の「仙人暮らし」といえないこともないでしょう。
ここまで、私の秘かな打ち明け話を二つ、老いでの青春期として思い綴ってしまいました。皆さんのように恋や愛や結婚という華やかさは私にはありませんが、おじさんのおじさんが語るひたむきな老後生活を偽らないように、走ることの好きなオジンが蔵王山旅日記に夢をしたためました。

続く
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