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足助病院コラム

Asuke Hospital column

2020/12/08 

Vol.112  「あの時のぼくの語ること今ここで語ること(蔵王山旅日記②)」

執筆 足助病院職員

診療協同部長兼薬剤部長  野村賢一

○月○日
私は北海道から来た者です。伊良湖岬に行った帰りに蔵王山に寄りました。とても綺麗な景色に感動しています。
少し前まで私はペンギンを見ていました。波の揺れに身を任せ、高い波頭を待ち続けるペンギンを見たのです。ペンギンは黒い衣を身に纏っていました。
高い波が押し寄せるとペンギン達は一斉に木のボードに立ち上るのです。ボードから落ちないように両手でバランスをとりながら。そして波と一緒に泳ぐのです。海面のいたるところに黒いペンギンが波に浮かぶ帆船のように漂っていました。あれはサーファーですね。
青い海って素晴らしいと思いました。私の住んでいる北海道では一番近い海まで行くのに、車で飛ばしても8時間はゆうにかかります。
時々、行商人が海の幸を大きな箱に詰めて私の家まで売りに来ます。行商人の車に近づき木箱の中一杯に詰められているホタテ貝を見たとき、私はその白く透き通るホタテ貝の殻の輝きの中に大海原への憧れを抱くようになりました。
それ以来何度となく海という言葉が私の頭からは離れなくなりました。そこにはあの竜宮城のような明るい輝きが満ち溢れているに違いないと子供の頃そんな風に海のことを想像したのです。
波の音、潮の香り、肌色の砂浜、海風に浮くカモメ、漁船の向こうの水平線、海を青く染める白い太陽。これほど近くで海をじっと見たことなどありませんでした。
山や草原ばかり見ている私には海で戯れることなどしたことがありません。ですから、今日は本当に素晴らしい1日でした。
渥美半島の潮の匂いと南国の風が私の子供の頃からの海へのイメージを崩れさせずに現実のものにしてくれました。
ありがとうございます。

○月○日
夜景がとっても綺麗でした。彼氏と来ました。もう逢うはずもない人だと思っていたのに何故だか分かりません。あのまま別々の道を歩んでいくのだと思っていました。広い宇宙には謎がいっぱいあっても、狭い日本の中で生きる二人には分からないことなど少ないなんて思っていたことが大きな間違いの始まりでした。恋と愛は違うんですね。俊夫と恵子は二人とも知ったかぶりしていただけで本当に大切なところは見失っていたみたいです。
運命とは一体何なんでしょうか。縁とは誰が何を目的にしてくっつけるのでしょうか。私にはまったく分かりません。
ただ私と彼はあんなにも喧嘩したのに、時間が経つにつれ知らぬ間に仲直りが出来たのです。
目に見えない磁力によって刺激された意識は、勝手にお互いの頭の片隅からじわりじわりと頭の中心に移動し、しいては逃げられないように包囲する。
すると、たまりかねた二人の意識はある日をきっかけにしてくっつき合おうとしたのです。これからは距離が縮まるのをただ傍観していてはいけないのです。
私は俊夫が世界中で一番大切な人だと知ったから俊夫も私を同じように大事にしてね。
日中は伊良湖燈台へ行って来ました。大アサリをフーフーしながら二人でつっつきました。とっても美味しかったで~~~す。
最後に一つ残った大アサリを俊夫に上げようとしたら、俊夫ったら貝殻に残った汁をすするから私に身を食べなよっていうんだよ。
  
ここには蔵王山に登った人のみが記すことを許可する日記がある。
僕もあなたもここにいないあなたもそこにいるあなたも書いた。日記はいつも僕達を純情にしてくれる。童心に帰らせてくれる。我が儘を訊いてくれる。渇いた心を癒してくれる。叶えたい夢のパスポートを発行してくれる。

6冊の日記の中には人それぞれの物語が永久に消え失せることなく、それぞれの願いとして白い帳面の1ページに埋められている。
日記は直接、言わない。話さない。喋らない。談じない。語らない。
しかし、人の心の彩を開く。だからか、僕は蔵王山旅日記が好きなのである。
冊数がどんどん増え、抱えきれないほどの長編日記になることを僕はいつまでも蔵王山旅日記に期待している。
海抜250メートルの蔵王山、二つの愉しみのために僕は駈け登る。
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