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足助病院コラム

Asuke Hospital column

2020/12/22 

Vol.114  「あの時のぼくの語ること今ここで語ること(若さはおやじになっても伝播する)」

執筆 足助病院職員

診療協同部長兼薬剤部長  野村賢一

秋の深まる雨の日、小生はその日、ランニングシューズを買い求め名古屋の八事に出かけた。
道中、刈谷市と三好市の間を流れる境川に掛かる橋を越えたところでツインカムGTと書かれた自動車屋の看板を目にした。
途端、えっ、という素っ頓狂な声が出て、嘘でしょう、という言葉が飛び出した。
小生は大学の2年次からアルバイトで貯めた金で中古車を所持しこの店の前を通学運転していた。だから今から37年、いやそれ以上の歳月が経過している。
振り返ると、製造業しかり商売しかり生き延びていくのは難しい時代だ。わが家の近くに立つコンビニはオープンして5年経つか経たぬかで統合された。
小さな店は大型店に呑み込まれガソリンスタンドだって激減している。そんな時流の中この自動車屋はかつてのツインカムエンジンを搭載するスポーツタイプ車を展示販売し営業し続けていたのである。
店長の強い意志と情熱、過去の名車をいつまでも愛する顧客により経営は存続してきたのであり、そう想うと小生はただ相好を崩さずにはいられなくなった。
こんな感慨にしばらく耽っていると、大学時代の友人にすこぶる車好きの奴がいて彼との記憶が甦ってきた。
友人は当時セリカ2000GT(トヨタ社)という真っ赤な車を所有していた。毎週、車をピカピカに磨いて時間さえあれば自動車ショップに顔を出しカー雑誌の発売日となれば雑誌コーナーに足を運んでいた。
まるで可愛いペットを手に入れた子供のように車をかわいがっていたのである。
彼の住む地域で市販車の中で最速の車を手にしていると友人は豪語し、その証拠にその後に発売となったライバルとなるスカイライン2000GTターボ(ニッサン社)の試乗会に彼はセリカを持ち出し、スカイラインと併走するかたちでライバルを煽り一騎打ちの対決を仕掛けたのである。
セリカとスカイラインは片道二車線の公道で横に並び信号待ちをする。右足の踵に力を入れアクセルをフルスロットルにすると彼はこんな言葉を吐き捨てた。
『スカイラインに負けるはずない、俺のセリカは羊の皮をかぶったオオカミだ』
明日の飯のことも週末の天気のことも将来のことも何も考えずただ彼の視界に入っていること、それはガソリンがセリカのタンクにどれだけ残っているか、ここが最重要だった。
タイヤの溝の残りが、水をはじくワックスの力が、取り替えたマフラーの低音の響きが、ショックアブソーバーの硬さが、取り付けたオーディオの音質が、世界中で一番大切な輝きであり、彼の頭の中はこうした恍惚物の破片により隅々までもが支配されていた。
現在、セリカ2000GTは街中や郊外でいや全国を網羅しても姿を見せなくなった。
マニアが所有しているか、あるいはトヨタ自動車博物館に保管されているか、それ以外のセリカはしかるべき宿命を受け入れ廃車となった。
モデルチェンジを繰り返す中で車の性能は進化するしデザインも斬新な変化を遂げていく。こうした時代の潮流にあらがえる名車はほんの一握りでありほとんどの車は役割を終え消滅する。
ところが、 59歳の友人は去年、スープラ(トヨタ社)という赤いスポーツカーを購入した。
スープラはセリカXXが世の中を風靡していた時代の風を呼び起こそうと企画された復活スポーツカーである。今、友人がなぜ真っ赤なスポーツカーを買い求めたのか、プリウスを乗っていた彼なのに、奥さんが欲しがっている風には見えなかったのに・・・、ただ、考えてみたくなった。
小生は友人のスープラ購入動機を以下のように考察する。友人のふところが豊かになったのも一因であると思うが、あの当時の「やばい景色」が忘れられず彼の青春の魂が線香花火の火玉のように落ちそうで落ちない状態でぶら下がり続けていたからだ。そう解釈するとスープラの購入はただの邂逅という懐かしさだけのものでなく微に入り細にうがった彼からの招待状だと受け止めることができる。そう思うと小生は激しいめまいに見舞われると同時に酷く心を揺さぶられた。
髪が薄くなり白髪も多くなりメタボ体型になった彼だが、もう一度、激走するためのスープラを唯一無二のマイカーとして所有する。そこには無残に歳を取り、鈍感になり、ピュアでなくなりつつある己にやむにやまれず熱い一喝を入れたく反発したかったのかもしれない。
若さはおやじになっても伝播するもの、ふと、こんな言葉が小生の頭の片隅を過った。帰り道は晩秋の青空が所々で清々しい群青を覗かせていた。
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