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足助病院コラム

Asuke Hospital column

2021/01/19 

Vol.118  「あの時のぼくの語ること今ここで語ること(ホメオスタシスを知れ「贅肉との闘い」)」

執筆 足助病院職員

診療協同部長兼薬剤部長  野村賢一

贅肉のことなど思い出したくもないが、ある年のマラソンシーズン中に、僕は横っ腹にお椀を伏せたような瘤の塊を見つけた。
そいつを見つけた時、僕は指でその塊をつまみ上げナイフで削ぎ落としてやろうと思った。しかし、ナイフでもって皮膚を切開し黄色の脂肪を取り出すことなど所詮無理な話で、それよりももっと現実味のある実行可能な方法で退治できないかと、僕は思案することにした。たどり着いたところの結論はランニングの距離を今以上に伸ばし消滅させるものだった。
ところが、奴は走っても走っても一向に引っ込むことなく、1日20キロ走ったくらいではビクともしなかった。走行距離をさらに増やすかそれとも大幅に減食するかの二者択一を迫られてしまった。
それで僕は夕食をいつもの半量に減らすことにした。これ以上走行距離を増やすことはその時の僕の実力からして無理な話しで骨格筋がもたない。そのための練習量を増やす時間さえも僕にはなかったからだ。
その日、僕は夕食前に30キロ走った。1キロ走ると50Kcal消費するのでランニングで1500Kcalの消費である。朝・昼・夕の3度の食事で3000Kcal摂取し、さらに普段なら寝る前に肉入り卵入り野菜ラーメンを摂取し、腹ごしらえ出来たところで床につくのだが、脂肪を取りたいがためこの食を断った。
深夜3時だった。目覚めた僕は、空気が薄く感じられ呼吸さえも浅い自分に何が起きたのかとおののいた。僕はひどく冷や汗をかいていた。腹に手を当てると胃がぺっこりとへこんでいる。なんと胃が縮んでいるではないか・・・。
僕の全身の細胞はランニングで使われたエネルギーを取り戻そうと熟眠中の僕の脳味噌に刺激を与え僕にエネルギーチャージを催促しているのだった。
よし、と思った。敵は僕の体の中で藻掻き苦しんでいる。闘いに勝つため僕は我慢するしかない、と自身に激励した。布団を腹に巻き付けてしばらくこの空腹との闘いが過ぎ去るのをじっと待った。
だが、僕の願望など風前の灯火で待てども待てども空腹感は消え失せてくれなかった。苦しさに耐えられずついに僕は布団の中で音を上げる。胃の辺りを片手で押さえ渋々起き上がる。インスタントラーメンを作りにキッチンに向かったのだ。
出来上がったラーメンを飢餓の中で食にありつけた兵隊のようにむさぼり啜った。食い終わると僕は今日はまんまと負けたが今度は絶対に勝ってやるからな、クソー、と悔し言葉を喉元で発語した。
減量の成功のコツは生体に宿されているホメオスタシスを如何にして働かせないようにするか、その1点につきることを悟る。それには1日に消費した分のエネルギーをその日の内に取り戻そうとする生体機構を知ることが肝要である。僕の失敗は、運動によるエネルギー消費量と摂取する食エネルギー生産量の差との間に大きなずれが生じたために、体内にあるホメオスタシスのスイッチが働いてしまい、僕は自分の意志ではどうしようも出来ない次元に連れ込まれてしまったのだ。
成功するならばホメオスタシスのスイッチが働くか働かないぎりぎりのところ、要するに、運動量とカロリー摂取量を天秤に載せた時、右側の皿に載せた運動量と左側の皿に載せた摂取量の差を計る天秤の針が少し右側に傾く程度で、万一、針が右に傾いたとしても振り切っていたのでは駄目で、その測定板内に針が納まるように食事量を調節しなければならないのだ。僕の動物的勘によると運動量よりも1割減の食事摂取量にすることが規定内に納まりやすく、一番効率のよい減量法と思える。つまり、例えば運動量が500Kcalなら食事量を450Kcaにすればいいのである。ただ闇雲に運動量を食事摂取量よりも多くすればいいのでは決してない。
減量ほど難しいものはない。ランナーである僕の体験など一般的ではないだろうが、ホメオスタシスという言葉の本質を自分自身の肉体をもって知り得たことがその後の闘いに戦勝をもたらした。
一ヶ月後、僕の肉体からあの脂肪の塊は姿を消した。減量の本質を知り得たことが僕を勝たせたのだ。 
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