診療協同部長兼薬剤部長 野村賢一
ある日、わたしの上司がわたしのことを、きみは幾種もの専門指導資格を所持しているのだから、定年後は学校関係の仕事に就いて、薬学生に対して資格を取得することの意義や有用性やらを伝えたらどうだろうといわれた。
実践している人の言葉や体験談ほど学生の心に届くことを承知している彼ゆえの言葉であろうが、そんなときは決まりきって、専門を最も必要としないものが最も快く専門に立ち向かう、ということで駆け引きのない年寄りの道楽としてチャレンジしていた結果だけですよ、と返答している。
そもそもじぶんというものが、人前で喋ることが苦手な性質で、考えたことを上手に組み立てて要領よく相手にわかりやすく伝える能力を持ち合わせていないから、やるべきではないという自己防衛反応のスイッチが入ってそう応えてしまうのである。
おまけに、昔話を持ち出すのも恥をさらすことと承知の上で告げると、大学受験の第一志望校は国立大学の地元にある文学部に決めていたじぶんが、ベンゼン環という亀の子のような化学構造式を学ぶ薬学部に鞍替えしてしまった後ろめたさが五十半ばになってもぬぐい切れず、残滓しているからだ。
大学受験時代のことだが、わたしの年から現在のセンター試験の前身となる共通一次試験が始まり、過去の問題を繰返し暗記するような勉強で学力を伸ばしていたわたしに試験方式の変更というのは過去の問題を解く機会を失わせる状況下を作ることに他ならず対処法がなくて苦しんだ。
それゆえに、当日の試験は期待していた及第点に届かなく、その後の二次試験においては普段通りの実力を発揮したが、前半試験の不足分を取り戻すまでには至らず、結果は恐れていた通り不合格となった。
仕方ない、と潔く割り切り、気持ちを切り替えて、意地を出して浪人をして再挑戦の道を歩めば良かったが、小心者ゆえに落ちたショックが大きくてその気にはなれず、たまたま二次募集をしていた自宅から通える私立大学の薬学部の受験要項を教員から受取り受験した。
そんな優柔不断な意識のままで学部を選定していたのだから当然、将来に夢や希望を抱くことはなく、可もなく不可もなくただ四年間の学生時代を過ごし薬剤師国家試験に受かる程度の勉強をしておけばいいや、とたかをくくっていた。そんななげやりな考えでも国家試験には合格し薬剤師として病院に就職した。
怠惰な気持ちのままでも、それでも入職後、三十年以上も上司からの指示に従い与えられた仕事を不平を言わず、ひたすらこなしていれば薬剤師の基礎的な力量は身につくし、仮に反対しても詰まるところは、薬剤師法という法律で規定されている職能の中でしか明日の生計の糧を得ることしか術はない。
それゆえに、たいてい、知る者は語らず、語る者は知らず、という原則が成り立っているということだから、多くを語らない生き方で、薬剤師の世界を俯瞰する位置にじぶんの思考だけを移動させ、往復の通勤に四時間をかける中で、わずかばかりの手持ち時間を趣味に費やし、職場内では勢力的でなおも発言力の強い人の足手まといにならない程度で、仕事と対峙することに、ある小説を書いた日、決めた。
境界線を越えて後方部隊に身をおきながら、病院薬剤師の仕事の変遷をたどってみると、マンネリズムの繰り返しを続けていた薬剤師の世界ではあったが、2000年頃からそれまでの調剤業務中心の仕事から病棟へ出向く仕事に変化した。
それに歩調をあわせるように、薬剤師の持ち合わせている知識をその広がった舞台で活用する彼・彼女らが実臨床の中で出現してきた。大なり小なり、餅は餅屋というように薬剤師の必要性も医療現場に浸透されてきたのである。
彼らの実績を薬剤師としての確かな質の担保として保証する方法として、2005年頃から認定・専門制度が職能団体・学会団体の関係者により発足され、近頃では、約三十種類もの認定・専門資格ができている。
むろん、専門を取得しても何かが変わるわけではない。給料に上澄み報酬をつけている病院もあるというが、そもそも薬剤師が薬剤師法に基づいてやるべき仕事をあたり前にしているだけで、医師法で定められている権限や責任が専門薬剤師に分与されたわけではない。
で、なぜゆえに、専門薬剤師制度が必要なのだろうか。
まあまあの並みの頭で知的好奇心を潜在的に保有するジェネラルな薬剤師に到達した者が、一つないし二つ、ある分野に関して興味を示し、より高度な知識を習得することで、囲いの中であろうとも自己の達成感が得られることと、ジェネラルという縦糸とスペシャルという横糸を上手く絡み合わせることで、職場全体のモチベーションの底上げが可能になるからと捉えている。
そう考えると、専門制度とは若い薬剤師が生涯学習を継続することの楽しさを覚えてもらうことと、勤勉な職場がわれわれの職場であることを表明する一つの旗印なのであり、ジェネラリストの上に専門性を有する優れた薬剤師を育成していくことが、前方部隊に所属する薬剤師にとってひとつの答えではなかろうか。決して、薬剤師間での上意下達ではない。
ところで、わたしのような五十半ばの初老薬剤師にとっての専門制度の必然性とは何なのだろうか、もう一度、自問してみると、実のところ、己の歩んできた薬剤師人生という名の痕跡が後方部隊の中でありながらも、これ以上下げてはならぬ危険ゾーンの手前で停止していたのか、学部を変えられなかった己の背徳感を曲がりなりにも軽減できないものか、ただそれだけを確かめたくて、専門制度を利用しているのに過ぎないのである。
したがって、わたしは専門を最も必要としないものが最も快く専門に立ち向かう、という日常起居の中で、初老の道楽として日向に出て風のない日に庭先の盆栽の剪定をしている老人のごとく、医療薬学専門薬剤師、医療薬学指導薬剤師、薬物療法指導薬剤師、がん指導薬剤師、感染制御専門薬剤師、医薬品情報専門薬剤師という論文を要求する鉢植えのおのおのの樹木に手を加え、ひたすら愉しんでいただけと言えよう。