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足助病院コラム

Asuke Hospital column

2021/02/16 

Vol.123  「あの時のぼくの語ること今ここで語ること (岩場での魚釣り) 」

執筆 足助病院職員

診療協同部長兼薬剤部長  野村賢一

僕は海岸線の斜面に立つ松林の向こうの岩場に降り立つとカメラを構えた。のべ竿を海面に突き出して、立ったままじっと魚のあたりを待っているおじさんの姿勢に心を惹かれたからだ。
僕は、断りもなくシャッターを切らせてもらった。おじさんは、岩場に打ち寄せる波の音のせいで、僕のカメラのシャッター音には全く気付かなかった。
ずっと前に僕もこの場所で釣りをしたことがある。その日は海風の激しく吹き付ける2月の寒い午後で、沖合には白波が頭をもたげていた。
押し寄せて来る波頭は、岩場にぶちあたると、ザボンという大きな音を響かせ、飛沫を舞い上がらせた。そんな中で僕は、寒さに耐えながら釣りをしたのだった。
そんな無謀とも言える天候の中であえて釣りを決行したのは、高校時代に僕が、25キロ離れた岩の釣り場まで友人Kと一緒に自転車を漕いでアイナメを釣りに行ったことがあったからだ。ちょうどその日も、厳冬の2月だった。
高校時代のことだからずいぶん前のことだけど、Kは有名な国公立大学を卒業したのち、デンソーという会社に入社し、彼はそこで自動車クーラーの開発担当をしていた。入社当時Kは、僕にこんなことを言っていたのである。
「俺はこの会社で骨身を削って一生懸命働く。だから好きな釣りは、これから出来そうにもない。日曜日でも仕事関係の本を読まなければならないので、釣りどころではない」
 時が流れて、彼が入社して10年経った去年のことだった。僕の幼なじみ4人とKとを交えた忘年会の席で、Kの口からこんなふてくされた言葉が飛び出して来たのだった。僕はただ、呆然と絶句するしかなかった。
「好きではない仕事なんか真剣にやっておれるか。サラリーマンというのは、サラリーマンの特権を十二分に活用して、首にならない程度に細々と仕事をしていればいいんだ。上司に期待されなくなっても、うろたえてはいけない。それよりもラッキーなことだとして喜ばなければいけない。会社に引きずられなくてすむのだからね。でも、必要最低限の仕事はするんだよ。本当に首になったら、釣りに行く金すらなくなっちゃうからな。まあ、俺みたいに出世コースの選別から漏れてしまったら、思い切り開き直ればいいけどな。もう、この歳で恥じらうことなどないしね。ただ、サラリーマンとして残された余命をどうやって生き抜こうかと考えると、好きな趣味(釣り)に没頭し、同僚から後ろ指を指されても堂々と生きてやろうと思っている。ケン、お前も窓際族ぽい位置に押しやられているようだから、俺の型に填らない都合のいい生き方はためになるだろう。俺は絶対に魚釣りだけには背を向けないからな」

この話を聞いて、僕は人の初心など年月によって簡単に変わるし、会社という組織は利用の仕方次第では実に都合良く出来ているものだと悟った。僕もKと同じように、いやKほどまでとは思わないが、今の仕事が自分に向いていないことだけは確かだったから、僕はKの話が隅々まで透き通るように理解できたし真実味がありすぎる分、おかしくて仕方なかった。
一滴の酒も飲まないKは、宴会の一次会が終わると、もう頭の中は次の計画が詰まっていた。4人と別れの挨拶をすると、Kは店の駐車場に停車させて置いた車に駆け寄り、トランクを開けた。その中からのべ竿を一本取りだして、僕達にさも嬉しそうな表情でそれを見せつけたのである。彼は車に乗るやいなや、窓ガラスを開けてもう一度顔を覗かせた。セルモーターの甲高い音と共にディーゼルエンジンが回る。と同時に間髪を入れる間もなくKは数回アクセルを踏み込んだ。エンジンの空ぶかし音が暗闇の中で反響音をやかましく鳴り響かせる。マフラーから吐き出される黒煙が、Kを除く4人の鼻腔をつんざいた。たまらず僕は右手で鼻を擦ると、Kは舌をペロリと出し、車を急発進させて立ち去るのだった。残された僕達は、「あいつの釣り馬鹿はたいしたもんだよな、いや、昔以上に釣りキチになってしまったもんだぜ。仕事は大丈夫だろうか」と言い合い、一呼吸おいて、「あのような生き方も大切なんだよな」と言葉を交わし、4人はヨタヨタした足どりで次の居酒屋に向かった。
ところで、僕がKと一緒に釣りに行くようになったのはいつかと言うと、それは高校1年の時だった。大して釣りに興味を持っていなかった僕をその気にさせくれたのが彼なのである。
「アイナメは、岩場やテトラポットの間に棲息する、真冬によく釣れる魚で、特に2月に釣った魚は身がしまっていていい。煮て食べるとすごく旨く、超高級魚と言っても全然差し支えないんだ。たくさん釣れるところを知っているから、俺と一緒に釣りに行かないか。朝はかなり早いが絶対に行くぞ。今度の日曜日は潮がいいから、よく釣れるはずだ。竿は俺が用意しておく。だから、行こうぜ。本当に楽しいからな。じゃー、俺の家に朝4時に来いよ」
僕は、Kの言葉を鵜呑みにして、厳冬の2月の身も縮こまる北風が吹き付ける中を、自転車を漕いで彼の家に出向くのだった。2人の家は3キロほど離れている。僕はKの家にたどり着くまでに何度、北風に自転車を煽られたか分からない。ふらつきながらも、こんな寒い中を2号地という岩場まで25キロも漕がなければならないのかと思うと、僕の気持ちは自分の体温が暗闇に吸収されるかのように凍り付くのであった。
あえぎながらも何とか僕は、Kの家に辿り着いた。(Kの部屋は四畳半程度であり広くはない。しかし母屋とは離れていたので、彼を呼び出すとき両親に気兼ねせずに済んだのでそれは有り難かった)Kの部屋を見やると蛍の光りほどの明かりさえ見えず真っ暗だった。Kが起きているとばかり思っていた僕は、頭の中に怒気が湧き立ち、たちまちムシャクシャし始めた。
「この野郎、叩き起こしてやらなけりゃ、気持ちがおさまらない」
僕は頭に血が上ると、先程までの沈んだ気持ちが一瞬にして吹き飛び、反射的に胸のあたりがムラムラした。慌てて自転車のスタンドを立てると、僕はKの部屋のガラス窓をドンドンと叩いた。その凄まじい音に気がついたのかKは、パジャマ姿のままで窓から顔を覗かせると、寒風に対して亀が頭を縮めるように首をすぼめ、Kは僕の顔を一瞥すると、おっ寒い、と慌てて小声を出し、それから詫びることすらせずに、それよりも僕がびっくりするようなことを平然と言うのであった。
「こんな風の強い日に釣れるわけないだろうが、海に落ちたらどうするんだ。死んじゃうよ。死んじゃう。君とは心中したくないの。それよりも、昨日、天気予報を見なかったのか。強風波浪注意報が出ていただろう。良く考えろ、頭がついているだろう。なあ、分かるだろう。だったら、今日は中止だ。来週に延期する」
Kは僕の気持ちなどかいもく汲み取らずに一方的にこう口走るのだった。僕もこんな風の強い日に釣りに行く奴の気が知れないと、腹の底ではそんな風に思っていたが、それでも、一応約束だけは破ってはいけないとそのことだけを考えて、北風に煽られながら出かけて来たのである。新聞配達の車を1台見かけただけで、それ以外の車には1台も出会わなかった。(僕はもう一度北風と格闘しながら、家に戻り一寝入りしたが、起きてからもその日は1日中苛立った)
翌日の学校でKは、僕を見つけるなり釣り道具の一部(ルアーのスピン。人気のある疑似エサ)を僕にくれた。僕はKに対して、物で人の心を釣ろうとは何事だと思ったが、しかし卑怯な真似をするんじゃない、とは言えず、もう既に自分の掌中に握りしめたルアーのスピンを見つめると、黙り込むしかなかった。
Kは僕の顔色を伺い、頃合いを見て自分の無礼を平謝りしたので、2人の関係はそれ以上こじれることなく収まったのである。
でも僕は、釣りに対する認識違いと言えば事がすんなりと収まりそうに思えるが、内心では本当のところ、友情に必要な「頑な約束」という掟をいとも簡単に破るKの神経にすこぶる驚いていた。
物に釣られたふりをしていた僕は、腹の煮えくり返る気持ちをぐっと抑えて、来週の釣りのことについて、Kにこう言ったのである。
「来週は君が僕の家に来るんだぞ、朝の3時半だ。遅れるなよ」
すると、Kはどうして30分も早いのだというような顔付きをし、目玉をパチクチさせた。
「話は簡単だ。お前も外で30分待って見ろ、どんなめに合うか分かるからだ」
僕はふてぶてしくとげとげしい意味を込めて、こう喋ったのである。Kは僕の不躾な言葉に逆らうことなくただ俯いて舌打ちし、頬を弛ませながら頭を一掻きするのであった。
色々あったが、2人は翌週釣りに行き、そして、アイナメをたくさん釣った。こうして目出度く、僕の初めての岩場での釣りが無地に終わったのである。

僕はカメラを構え、再びファインダーを覗いた。ファインダーの中にはおじさんのどっしりと構えた姿勢が映っている。岩場の香りがいっそう濃くなり、頬を吹き抜ける潮風も幾分力を増したようだ。潮の流れは満ち潮のせいで、僕の立っている岩場の下の波も幾分威勢良く通り抜けて行く。僕は徐々に懐かしいかつてのKについての回想から醒めつつある自分に気付いた。
「K、お前は今日もどこかの海で釣りをしているのだろうな」
僕は、おじさんには聞き取れない小声を漏らした。何故だか分からないが、そう言わずにはいられなかった。もしかしたら目の前の後ろ姿を見せているおじさんが、Kではないのかと、僕は無意識のうちに二人を重ね合わせていたのかも知れない。だとすればここでもう一度、おじさんの耳に聞こえるような声でKと呼ぼう。
すると目の前のおじさんはきっと振り向き、「久しぶりではないかケン。カメラを置いてお前も俺の横で釣りをしないか。釣りは楽しいぞ」と話しかけてくるに違いないと僕は想像した。しかし、僕の声は喉元のあたりで塞がれ、とうとうKとは呼べなかった。
釣りとは何だろう。釣りという行為の中には人を虜にさせるどんなからくりが隠されているか、その訳を僕は考えずにはいられなくなった。
僕は魚釣りのことを孤独なレジャーだと思っている。何と言ったって、いつ釣れるか分からない魚を相手にして静的な時間の中に我が身を委ねなければならないからだ。でも、釣り人は、実のところそうした無の時間(孤独)を楽しんでいるのかも知れない。釣果があろうとなかろうとそんなことお構いなしに、竿さえ差し出していれば、釣り人は自然の中に埋没するある種の活命力みたいなものを吸収して、おじさんやKらの心身は知らずして癒され、挙げ句の果てには、明日を生きぬくためのエネルギーを体内に備蓄させているのではないか。僕は釣りの効用をこのように感じ取るのである。きっと、釣り人の心底の片隅には、日常生活からの逃避が見え隠れしているにちがいない。僕のマラソンもそうだが、結構、孤独に身を寄せる人は、孤独を愛する人は、孤独に耐えられる人は、孤独の中において明日の糧を培っているのではないか、と僕はそんな風に確証するのだった。
もちろん魚が鉤に引っかかり、魚の逃げまどうゴツゴツする手応えの方が、釣りの楽しさを病みつきにさせることに間違いはない。コアラみたいにじっとして動かないで釣りをしている人よりも、釣れた感動に酔いしれ、はち切れそうに唸る心臓を鼓動させている釣り人の方が愉しいに決まっている。けれども、魚釣りの醍醐味は、釣っている途中よりも、釣り上げた魚の口から鉤を外し、魚篭に入れた後の心が落ちつくまでの、タバコを一本吸う間くらいのほんの僅かな時間帯に恍惚感があって、そこに至るまでの待ち続けるという裏舞台に精神をどれだけ集中させることが出来たかという、端から見ていると一見退屈そうに見える過程にこそ、釣りの面白さが潜んでいるように考えられるのである。

 僕は、釣りをしているおじさんからカメラを逸らすと、僕に気付いていないおじさんにそっと小声で話しかけた。
 魚釣りもマラソンも孤独なところがいいんだよ。
 ねぇ、おじさん、どれくらい待っているの。
 この岩場なら、2時間待てばカサゴ、メバル、アイナメのどれかが、最低でも3匹は釣れるから、心配しないで根気よく釣っていて下さい。
 それから僕は、おじさんに背を向けるとカメラを抱え、海沿いの道路に止めておいた車に向い足を踏み外さないように進んだ。
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