総務課長 鈴木由加里
「あれ? 今あたし何取りに行ったんだっけ?」
これは職場での私の独り言。何かをしようと席を立った時に、外線を受けたため電話が終わった後、何をするか記憶が飛んでしまったのでした。
「電話がかかってくる前は○○について対応してましたよ」
独り言にもかかわらず(声が大きいからか?)、周りのスタッフが優しく声を掛けてくれます。
「あ、そうだった。○○取りにいくんだった。ありがとう」
ここ数年、これが日常茶飯事となっています。全く手のかかる上司です。
自宅でも同じ。
外出時、玄関を出てエレベーターで階下に降り、車に乗り込んだ途端、(スマホ忘れた)だの、(窓閉めたっけ)だの、(鍵閉めたっけ)なんてことで、またまたエレベーターで戻り、確認し、やっと出かけられるなんてことがしょっちゅう。
その度時間の無駄を感じ、記憶に自信のない自分にいら立ちを覚えてしまいます。
話は職場に戻ります。
普段、課内のスタッフに、
「記憶ではなく、記録で仕事をしてね」と言っています。
いくら慣れている仕事でも、頭の中の記憶は曖昧なものです。
また、自分の記憶の知識のみを頼りにすると、法律や手順が変わってた!なんてこともあります。過去の記録、根拠資料を確認して正確に仕事を行うように自分も心掛けています。
なんて偉ぶっている私ですが…。
記録や根拠に示されているような仕事はよいですが、前述した自宅での確認や、仕事で例えば毎日毎日繰り返し行っている、いわゆるルーティンワークは記録がありません。
こういった行動(仕事)の記憶が必要な時が、職場での独り言や外出するまで時間がかかる私を作る訳です。
仕方ないよね~。50代半ばだも~ん。ど忘れ世代なんだから~。
そう開き直る私に、衝撃的な言葉が飛び込んできました。
『脳は年を取っても衰えない。記憶力の衰えを感じるのは脳のせいではなく、自分自身の気持ちや心の持ち方の問題だ』と(「のうだま2」幻冬舎より)
つまり、自分の行動がマンネリ化して新鮮味がなくなると脳はそれを記憶として記録をする作業をさぼってしまうため記憶が曖昧になってしまうとその本は語っています。
つまりつまり、私の物事に対する姿勢の問題だったのですね‼
これまでの行動を省みて、ひとつひとつの事柄に関心や好奇心を持つようにしようと思った私でした。