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足助病院コラム

Asuke Hospital column

2024/07/09 

Vol.303 「災害と向き合う その5」

執筆 足助病院職員

企画室長兼事務管理室長 日比敦郎

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災害との向き合い方について、「防災・減災」の視点から「被災者支援」に重きが移り変わっていく中で、私は「足助病院を避難所としても機能させよう」と思うようになりました。
これまでは、「モノ」さえ揃えばとりあえず生き延びることができるのだから、供給体制を最優先に考えてきました。
しかし、それでもなお「他人事」だったのかなと今は思えます。
カプセルベッドやモバイルトイレなどを病院祭で展示し、なんとか行政などの方の目に留まらないかと必死でした。
震災か風水害かで防災のポイントは変わってきますが、避難所運営に関しては同じです。地域住民の安心感確保に少しでも寄与できればと思い、様々な交渉をしてきました。
結果としては失敗で、この方向性はおそらく当院が目指すものとはズレていたのですが、過程としては重要なものであったと思います。

そのズレを矯正するイベントが2023年9月にありました。
病院祭が2023年10月ですので多少前後しますが、転換期として重要な時期でした。
日本病院学会が仙台で行われ、私も参加させていただきました。
学会後、足を延ばして石巻市を訪れました。東日本大震災遺構の視察です。
大川小学校・雄勝病院・女川交番の3箇所を見学させていただきました。
どれも強烈な印象でしたが、個人的には大川小学校のインパクトが一番強かったです。
大川小学校では津波により多くの児童・教職員の命が奪われました。
その遺構は津波のエネルギーの凄まじさを知るに十分の様相を呈していました。
この日は当時の様子を伝える語り手さんがいらっしゃったので、少しその声に耳を傾けました。

なんと、その方はここで命を落とした児童の親御さんだったのです・・。
我が子を失った悲しみを胸に、訪れた方々へ津波の凄まじさについて語り掛ける姿を私は直視することができませんでした。
自分だったらとてもこのようなことはできないでしょう・・。
そんな私の心境にさらに訴える一行の文を展示室内のパネルで見つけました。
「もうそっとしておいてください」
返す言葉は何もありません、ただただ祈るだけなのでしょうか。

避難所を整備して災害関連死を一人でも減らそうと思って色々とアクションしましたが、それは避難してきた人が「生きたい」と強く思う前提です。
200床未満の病院が避難所を運営して、いったい何人が救われるのか?
自問自答する日々が始まりました・・・。

続く
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