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足助病院コラム

Asuke Hospital column

2024/07/23 

Vol.305 「災害と向き合う その7」

執筆 足助病院職員

企画室長兼事務管理室長 日比敦郎

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能登半島地震を愛知県内で経験し、我が家の娘たちも怖い思いをしたようです。
長女は素早くテーブルの下に潜り込んだことをじぃじに褒められて得意顔でした。
二女は私に似て気が小さいので、真剣な表情の父親が怖かったようです。
本来とは異なる流れですが、地震の恐ろしさを伝えることができました。
この時私はふと思いました。今回は偶然一緒にいた時なので、こうして守ることができました。
南海トラフはいつ発生するか分かりません。次は彼女たちを庇うことができないかもしれません。
もっと言えば私が年老いて、彼女たちの足手まといになるかもしれません。
娘たちが私を庇って命を落とすことがあってはいけません、物事には順序というものがあります。
居ても立っても居られなくなった私は3月の家族旅行にある場所を入れ込みました。
そうです、大川小学校です。
この子たちにはまだ衝撃が大きすぎるかもしれない・・・それでも私は娘たちにあの場所を見せたかったのです。
親の力をもってしても、自分がどんなに偉大になっても、どうにもならないことがあるということを・・

楽しい楽しい家族旅行が始まりました。
私も妻も有休をいただき、子どもたちは新たに始まった「ラーケーション制度」を使って4泊5日の旅です。
未明に出発して、まずはとにもかくにも宮城県を目指します。※もちろん車です。
休憩等しながら11時間かけて大川小学校に到着です。
石巻市に入り北上川沿いに北上する頃の車内で、大川小学校の悲劇について事前にレクチャーしました。
校舎の破損状況にビックリする娘たち。最初は津波ヤバいなどと言っていましたが、次第に態度が硬化していきます。
遺構が放つ雰囲気を少しずつ理解しはじめたのでしょう。
食い入るように展示物を見つめる長女、私の手を掴んで離さない二女。
涙を流す母親の姿を見て、子どもながらに感ずるものがあったと思います。
続いて女川町へ。
同じように津波の被害があった地域ですが、現在は綺麗に復興しています。
女川町の方々の覚悟についてもなるべく分かりやすい言葉で話しました。
子どもたちには少し難しかったのか、長時間のドライブで体がなまったのか、女川公園で現地の子どもたちに紛れて遊んでいました。

・・・これが日比家の防災教育です。

南海トラフが発生した時、どこで何をしているかは分かりません。
ただ大津波警報が発令された時、誰が何と言おうと1秒でも早く、1㎝でも高いところに逃げて欲しい。
親が教えたいのはその1点、まずは自分の命を守って欲しい。
ようやく災害への向き合い方が「他人事」ではなくなってきたような気がしました。


続く
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