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足助病院コラム

Asuke Hospital column

2024/07/30 

Vol.306 「災害と向き合う その8」

執筆 足助病院職員

企画室長兼事務管理室長 日比敦郎

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プライベートの家族旅行に防災教育をぶち込んだ結果、娘たちも被災という非日常の世界に興味を持ち始めてくれました。
図書館でサバイバルの本を借りてきたり、備蓄の災害トイレに興味津々になったり、概ね成功だったようです。
そんな中、当院でもJMAT派遣が決定し、私もロジスティックスの一員として石川県輪島市に向かうことになりました。
ただ、私は悩んでいました。まずもって役に立つのか?と。
資格も何もない自分が何をするのだろうと。
もう一点、家族は納得するのだろうか?
大げさではなく、命がけの任務となります。保険も掛けるということは少ないとは言え、一定の確率で事故が起こる業務です。覚悟の要ることでした。
もちろん家族には「死ぬかもしれない」などとは言えないので、一人で静かに決意をして家を出ました。

金沢までは列車移動でしたので、座席に座ってあれこれ考え事や現地の情報収集をしながら過ごしました。
今思えば上記の葛藤と緊張からか、かなりナーバスになっていたと思います。
そうこうするうちに金沢へ到着、石川県医師会にて指令内容の確認ミーティングです。
初日は現地への移動と大規模避難施設の視察となりました。

病院でも避難所運営ができるのかと考えてきたので、実際の避難所を視察してかなり勉強になりました。
大規模避難施設は当たり前ですが管理がしっかり行き届いていました。
とても被災した行政スタッフだけで運営など不可能であることがよく分かりました。
強い使命感を持つことは大切ですが、使命感だけでは人々の暮らしを支えることはできません。
正しく判断し、正しく助けを呼ぶ、助けてもらえるような体制を整えることの重要性を学びました。

そして輪島市へ移動、道中の「のと里山街道」の破損は激しく、移動にはかなり難渋しました。しかし明らかに改善されており、復旧工事に携わる皆様に感謝しながらの通行でした。
市内に入ると大規模な土砂崩れに出迎えられました。しばらくすると倒壊した家屋に囲まれ、崩れた家という光景は当たり前になるほど感覚が麻痺していきました。


続く
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