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足助病院コラム

Asuke Hospital column

2019/09/03 

Vol.35  「一隅を照らすこれ国の宝なり」

執筆 足助病院職員

診療協同部長兼薬剤部長 野村賢一

あすけあい第111号:2019年7月発行のVOICEコーナーでわたくしの部下となるその人は座右の銘として 「一隅を照らす者は世の宝」と記していた。
わたくしは何だろうと漠然と、広い社会の中であって片隅を照らすことの出来る立派な人だ、くらいにしか思っていなかったが、どうもその話の続きを読んでいるとそんな浅慮なものではなさそうなのである。
そしてコメントの最後では「置かれたところで咲きなさい」と清楚でありながらも強い信念を伺わせる言葉で閉じられているではないか。
そう言えば、あすけあい第111号が発行されるひと月前の6月のこと、病院より5~6km山里に位置する石野交流館で「石野地区コミュニティ会議 健康フェスタ」に病院の特性を活かす健康ブースの出展に加え、気象防災についての院長講話に参加させていただいた。
その折、会館内の掲示板に貼付されていた中学校の校長先生からの卒業生に対する祝辞で「一隅を照らす」題目での寄稿文を読む機会があった。読後に、なるほど、いい話だなぁ、と思ったが、その時はそれで腑に落ち消え失せた。
ところが、2度目に目に留まったときからは、その言葉が折に触れ異彩を放つようになり、わたくしの気持ちの中にじんわりと滲みだしてくるのだった。
それ故に「一隅を照らすこれ国の宝なり」という言葉の語源の意味するところを深く知りたくなった。
このように筆を進めているとわたくしの教養の乏しさをさらけ出すことになる訳だが、それでも聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥、という諺があるので、はなはだ調子よい考えではあるが、それを蓑にして調べてみることにした。以下に探した内容を記す。

《この言葉は、平安時代に比叡山延暦寺を開き日本天台宗の宗祖である最澄(767-822)が著した『山家学生式』(さんげがくしょうしき)の冒頭部分に記載されています。

『山家学生式』
国宝とは何物ぞ
宝とは道心(どうしん)なり
道心ある人を
名づけて国宝と為す
故に古人(こじん)の言わく
径寸十枚(けいすんじゅうまい)
是(こ)れ国宝に非(あら)ず
一隅(いちぐう)を照らす
此(こ)れ則(すなわ)ち国宝なりと

「径寸」とは金銀財宝のことで、「一隅」とは、今あなたがいる場所のことを指します。
つまり、「一隅を照らす」が、意味するところは、「お金や財宝は国の宝ではなく、家庭や職場など、自分自身が置かれたその場所で、精一杯努力し、明るく光り輝くことのできる人こそ、何物にも代え難い貴い国の宝である。」ということです。
一人ひとりが、それぞれの持ち場で全力を尽くすことによって、社会全体が明るく照らされていくという考え方です。
人は誰でも、何らかの使命を果たすために、この世の中に生まれてきたともいいます。
人をうらやんだり、自分を卑下するのでなく、自分を信じて自分の場所で仕事に専心すれば、必ずいい仕事ができるということです。要は、何事も当たり前のことを馬鹿になって当たり前にすることではないでしょうか。
そういう努力する姿を同僚や家族、友達や周囲の人々は見ています。そして、あなたが光れば、あなたのそばにいる人も光り輝きます。自分が周囲に良い影響を及ぼすのです。》

やはり、調べてよかったと満足している自分がいる一方で、昨今、情報の氾濫とも呼べる時代の中で、一攫千金を願うまでもないが右往左往とする己の精神だけが空走りを続けていた過去を反省するもう一人の自分にも出会えた。
ご縁があって足助病院に在籍させていただいてもうじき3年の歳月を経過させるが、定年が近づくにつれ残りの手持ち時間1年半の中でどんな「一隅を照らす」ことができるのか、清澄な言葉の力を借りてでも背筋を伸ばし、胸を張らざるにはいられなくなった。
秋が深まるにつれて虫の音は足助の野山の中で渾身の合唱を奏でたあと、ふいに消えていく。川の声が聴こえ、月の光が冴える。わたくしは部下に負けぬよう残りの距離でラストスパートをかけてゴールテープを切るために努力してまいりたいと腹に力を入れた。
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