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足助病院コラム

Asuke Hospital column

2019/10/15 

Vol.41  「心地よい学会じゃないか」

執筆 足助病院職員

薬剤部長兼診療協同部長 野村賢一

第68回日本農村医学会学術総会が10月17日~18日、北海道帯広で開催される。
学会には全国各地から十勝の街へ地域医療やへき地医療を実践的に取り組んでいる同友らが参集し、熱い発表を通して意見交換や課題認識をする。かつて小生も第51回の帯広での学術総会の時に発表をさせていただいたが、その時が平成14年であったので、あれから17年の歳月を経て再び北の大地、帯広に開催地が回ったというわけだ。
当時、小生は愛知厚生連の中で初めて移転事業を完了させた渥美病院(平成12年10月新築移転)に勤務しており、院内物流の効率化を求めた供給センターを立ち上げた。その取り組み内容を病院宣伝用のDVDビデオとして制作していたので帯広での学会のことはよく覚えている。
近頃、パソコンデータを整理していたところ帯広から4年後となる軽井沢で開催された日本農村医学会総会での復命書を見つけた。読んでいると懐かしい写真を見るような感覚にとらわれもしたが、おのれが会場で多くの刺激を受けていたことに驚く。
内容に関しては若気の至りとして許してもらいたいが、随分長く重たい想いを復命書にはふさわしくない文章で綴って、サブタイトルなど付けて書いているのだから、もうどうしよもないただの馬鹿としか言いようのないことをしていたと赤面する。
それでも恥を承知の上で軽井沢での農村医学会学術総会をその場所でその瞬間に感じた熱い想いを還暦が近づくにつれ足取りは重くなったが、その足をもう一歩、前に進めるためにもここにさらさせていただきたい。


  復命書 『軽井沢の群青に時を染めて』   
          
『心の和らぐ学会だった。早朝、紅葉の万華鏡の中をランニングしたせいもあるが、長野県と群馬県の県境に位置する標高2568㍍の噴煙を上げる浅間山の麓、軽井沢という国際リゾートの中にある一流ホテルで学会が行われたせいもある。遠く彼方を見渡せば、四季折々姿を変えるという佐久平のシンボルでもある浅間山の雄姿に参加者は束の間、時を忘れたことであろう。
今回の学会のテーマは、農村医学会発祥の地である長野県での開催に因み、あまりにもめまぐるしく変動する昨今の社会情勢の中に於いて、ともすれば見失いがちな医療の方向性を模索する意味で、「今農村医療の原点に帰って」という主題であった。土地の人々と共に歩む佐久総合病院だからこそ、温故知新の必要性を唱えるテーマを今回の学会の柱に位置づけしたのであろう。
演題は、すべてポスター発表であり、326演題あったという。限られた時間の中、演者の熱意がより身近に感じられ、会場は大勢の熱気でどこも満員だった。自分の興味のあるテーマ、日頃の業務の悩みを解消するテーマへと各々参加者は忙しく、そしてじっくり見入っているのが印象的であった。
ところで、私が今回の学会で感銘を覚えたのは、ポスター発表もさることながら、佐久総合病院による農村演劇とビデオシアターである。農村演劇では、若月俊一作「はらいた」が上演されて、佐久総合病院の劇団部による生の演技に、私の心の襞は揺すぶられた。「農村ではむずかしい演説よりも劇をやれ」という若月俊一の言葉は地域の人々の行動と地域文化の所在を見事に指し示しており、土をいじって土に親しみ土に安らぎを覚える、土から生計を立てている質素な農民相手には、この伝達方法が一番分かりやすく的確であるいという、実直なまでもその確信に迫る若月俊一の演劇にこだわる眼力にはひたすら驚かされずにはいられなかった。
演劇は、キャスト3人で行われ、国民健康保険のない頃の農村を舞台に、急に、はらいたを起こしたコン吉お父ちゃんの治療の行方についてどうなるのか、貧乏な農村に於いての医療費はどうしたらよいのか、ストーリーを村人の暮らしの視線にまで掘り下げて深く考えさせる。モチーフの収束先は衛生教育や医療知識を織り込むところに行き着くが、農村地域に於ける病院の役割を見事に演出していた。笑いを誘いつつも、曲折のないストーリーであるからこそ、真っ直ぐ見る者の心に大切なものを飛び込ませ、病院側の言いたいことを実直に表現し伝える。
ビデオシアターでは、佐久総合病院の古い映像の記録が人々の当時の暮らしを生き生きと映し、時代の生き証人の役割を果たす。思いがけない、また懐かしくもある記録を見る事ができ、口では伝わらないものも映像ではきちんと伝わることを再認識でき、治療医学と予防医学の必要性が村人の暮らしの中に浸透していく様子が手に取るように分かった。
空が茜色に染まる頃、帰路に向かったが、心に残ったものは、人工に作られた軽井沢のショッピングプラザでも、ゴルフコースでもなかった。自分の足でこの土地の香りを嗅ぎ、この土地の凸凹を走りながら見つけ出せたことである。佐久総合病院の地域に根ざした文化は遠くから眺めていただけでは分からなかった。だが、一歩踏み込み、前に出て肌に触れるところまで近付くことで、その60年に渡る「あゆみ」の確かさが分かる。軽井沢駅のホームからは蛍光灯の明かりが洩れ始める。暗闇が上空から舞い降りつつあるも、群青の時は私の心の中を抜けるような蒼さでもって美しく私の背中を押してくれる。噛みしめる時は、あの会場で絶え間なく真実の時を刻んでくれた。私も病棟薬剤師業務を行いながら患者との語らいの中で僅かな明かりでも点してみようと頷いた。』

いずれにせよ、これから足助病院を担っていく若者たちには、ぜひとも実り多い学会にしてもらいたく願ってやまない。
学会発表だけではなく、同僚達と一緒に行動を共にして心を通わせることのできるのが農村医学会でもある。脂の乗った美味しい北の魚介類を堪能するものまたこれも良い。熱燗をお猪口でぐいっとやるのも至福の時だ。帯広の豚丼を豪快に口の中に放り込み噛み切ったあとゴクッと胃に落とし込むのもこれまた旨い。
十勝に行かれる足助病院職員の有意義な学会となりますように、いってらっしゃい。
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