光源氏
ぼくは一人でするスポーツが好きだ。
とくにランニングが好きだ。
でも、自宅周辺の通行量の多い歩道を走るのとは違って、遠い水平線を見ながらのランニングはとっても心地よい。空気が違う。
潮騒が海風にとける。光が波の中ではじける。
肺の奥深くまで吸い込み、手を広げて少年のような気分で走った。
古い皮膚がメキメキと音を立ててうろこのような感じで剥がれ落ちていく。魂の洗濯というけれど、まさにそれだった。
ぼくはその瞬間にぼくを取り戻す。あの打ち寄せては返す波、金と銀の波が笑顔に見える。
ぼくは夕陽に向かってお辞儀をして、やあ、光源氏です、とつぶやき、姫、こっちだよ、と手を挙げた。
どんなに大きな声を張り上げても誰にも叱られることがない。
誰はばかることなく、ぼくは叫んだ。両手を口にあてメガホンにする。お腹に力を入れる。呼吸を停止させる。
「姫、やっと出会えたね・・・」。ピュアな愛の響きに続く言葉は、「姫だけ奪い去りたい」である。
たった一度の素敵な女性への告白。
真っ赤な太陽がゆっくり高度を下げて水平線に近づく。
幻想的な時間の始まりだ。ゆっくりと確実に二人の心の秒針が進む。
夕闇が大空に広がり出すその瞬間、夕陽と水平線が遥か彼方でそっとキスをした。
それは一日の終わりにふさわしい静謐で美しい接吻そのものだった。
ラブストーリーはなんてヒューマンティックなんだろう。(笑)