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足助病院コラム

Asuke Hospital column

2019/11/19 

Vol.45  「たこ焼き」

執筆 足助病院職員

薬剤部長兼診療協同部長 野村賢一

秋風が肌に染みるころともなると、ふいに高校時代の帰路で立ち寄って食べた、たこ焼き、お好み焼き、たい焼き、大判焼き、みたらし団子のことが思い出される。
新陳代謝の旺盛な青春期、あの鼻腔の奥を刺激するソースや醤油のこうばしい香りを嗅ぐとその瞬間から腹の虫が鳴るばかりで食欲を抑えることは難しい。
だからわずかばかり小遣いのあった日などは自分に対してよく頑張ったご褒美の日と称して(たとえば、先生にあてられてうまく答えられたとか、テストの点が良かったとか、かわいらしい子と話しができたなど)とかく都合のよい解釈をでっちあげ個人店舗の前で待つのだった。
その日は焼きたてのたこ焼きを買う人たちで店先がにぎわっていた。
慣れた手つきでひっくり返す手際の良さを眺めながら順番を待ち、やっと手にするとそそくさと店の奧のひっそりとした小棹に行き(お客は他に居なかったと記憶しているが)、たっぷりかつお節のふりかけてある、ふくふくとしたたこ焼きを誰はばかることなく、さくっと口の中に放り込んだ。
舌の上で頬の裏側でほくほくのたこ焼きを「あっちっち」と声が出そうになるのをどうにかこらえて歯で割った。
中からあたたかいとろーりとした汁が出てくる。肝となるたこを噛み切り、ほど良い歯ごたえを感じ取ったあと混ぜて呑み込んだ。
あっ、うめぇーという、得も言えぬデリシャスを全身で味わうと束の間、幸福感に浸かる。二つ目を食べる時はまだ残りがたっぷりあるという安心感からか、一つ目より幾分ガツガツせず穏やかに食べた。
しかし、ひとたび食べどきを失って冷えてしまった時のたこ焼きは図体が縮こみ、いかにも皴の数が増えたようで面相もひどく情けなくなるから不思議なものである。
近ごろは焼きたてのおつな味というよりも電球で温めてあるものが多く物足りなさを感じる。お客の要望に即応できる対応が昨今求められる時代だから仕方ないのではあるが、あの昔風のたこ焼きを求めて少々時間がかかってもいいので熱々のものをとひそかに願っている。
秋がしんしんと進むにつれ香嵐渓の紅葉は万華鏡をのぞくような色とりどりで見ごろとなるが、川沿いに立ち並ぶ屋台からの匂いは今年もあの時の記憶をセピアの味とともに引っ張り出してくれる。
ならば、帰りがけに友と顔をのぞかせてみようか、きつね色したほっかほっかのたこ焼きを頬張りに・・・。

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