薬剤部長兼診療協同部長 野村 賢一
岩本さんからの葉書をいただいていたのに返信ができなくて申し訳ないと思う。そんな折、十二月一日の休みの日、前々から気になっていた岩本さんへのお返事を書かせていただくことにした。
ただ多忙というと嘘になるが、ぼくの一年を振り返ってみると、昨年の十二月から今年の三月まではランニングを中心とする休日で過ごした。そして四月から十一月末までは魚釣りをど真ん中とする釣りキチ三昧の休日で余暇を過ごした。
ランニングは、冬季の四ヶ月間で千キロ走り、それからは月間百キロペースの距離で細々と走った。もちろん、マラソン大会には滅多に出ることなどなく(一回豊田マラソンに参加したが)、ただ肥満防止と体力維持のためのジョギングをしていたのだ。そのため、スピードはどんどん落ち、近頃ではキロ六分でのジョギングさえもきつく感じる程まで低落しきってしまった。本当に情けないと思う。
ところが、魚釣りの方はよくがんばったと思っている。休みの朝は、早朝三時に起床し、前の晩に釣り道具を詰め込んだプリウスに乗り、渥美半島の赤羽根港、伊良湖港、白谷漁港、泉漁港の突堤へと向かったのだ。釣り場に向かう道中での釣果への期待感は、かつてのマラソン大会へ向かうあの時の好成績を得る期待感に似て、その日がいかなる結末を向かえようとも分からぬが、常にぼくの気持ちを奮い立たせてくれた。知らぬ間にアクセルペタルに力が入る。
暗闇が上空に吸い取られると空と海の境界線がにわかに浮かびだす。一日の始まりは静謐でありながらも大気は熱いエナジーを抱えている。ぼくは潮の香りを胸の奥に留め、日の出前から竿を出し、朝まずめの時間を狙う。朝まずめ、夕まずめというのは日の出、日の入り間近の時間帯で魚にとっての朝食タイム、夕食タイムと言えよう。つまり、各々の魚が自己生命を維持するために捕食する時間帯なのである。大きな魚が小さな魚を胃袋に入れるために追いかける。小さな魚は死に物狂いで海面から飛び跳ねひたすら逃げる(大きな魚に追われて、 海面にバシャバシャと逃げる様子をナブラという)。海鳥もすかさず魚に飛び掛る。いろんな場所で食うか食われるかの死闘が続く。こうしたバトルの中に疑似餌(ルアー)を放り込めば否応なく釣れる。
早朝の激戦が終了すると朝飯を頬張り腹ごしらえする。海では握り飯と卵焼きがすきっ腹を満たすのにもってこいだ。失われた塩分を身体が要求しているのだろう。そして、ザ・プレミアム・モルツビール。朝からの缶ビールは渇いた喉に程よい潤いと心地よい刺激を与えてくれる。神経の隅々までアルコールがいきわたり最高にうまい。
一服したら今度は釣りの仕掛けをサビキに変える。コマセを餌にしてイワシ、アジ、サッパを釣る。その釣った魚の中からイワシを生きえにして、今度はマダカやヒラメを釣るのだ。群れとなった小魚の隣には、それを食う大きな魚がいる。ぼくはその魚をひたすら狙うのだ。
生き餌をつけたリール竿の穂先がしなり、ヒラメがイワシを食っている瞬間が来ると、ぼくの胸は張り裂ける寸前まで高鳴る。ヒラメは歯が鋭いので、釣り針を飲み込まれてしまうと、たとえ釣れたとしても引き上げている最中に、ヒラメのごつい歯で釣り糸が切られてしまう。そんなわけだから、針をヒラメの口に引っ掛ける必要がある。ぼくは海中での捕食状況をリアルに想像する。ヒラメがイワシの尻尾を食い始めて、腹の辺りまで飲み込んだ、そろそろ針がヒラメの口あたりに到達したな・・・と。糸の引き具合から、ひたすらヒラメの口に引っ掛けるタイミングを見計らい神経を集中しなくてはならない。あわててもいけないし、待ちすぎてもいけない。ましてや空振りなど想像したくもない。
「よっしゃ」と一声上げ、竿を力強く引き上げる。竿は空と海面のあいだで円い弧を描き弓となる。糸が左右に、そして前後に走り、引きの強さで、でかいと判別すると、ぼくは両手で竿をつかむ。と同時に、アドレナリンを放出させ逃がしてなるものかと必死に竿を持ち上げる。こうしてヒラメとの格闘が始まるのだ。ぼくとヒラメの一騎打ちは、生き物同士の真剣勝負そのものなのである。
思い描いた通りに大物が釣れたときの悦びというのは、体の芯から突然に飛び出すもので、人間の本能を熱く刺激してくれる。だから、ぼくは釣りにはまり、夢を釣っていると自負し、マラソンをそっちのけにして、どんどん釣りの世界に傾倒しているのであろう。ぼくの釣り三昧は、気象状況により変化するが、台風の接近による高波が到来しているとき以外は、すべての休日を釣り日に変えてしまった。ここまで来ると本当に馬鹿としか思えない。
今年釣った魚を羅列してみると、タケノコメバル、アイナメ、サヨリ、ゼンメ、ウルメイワシ、カタクチイワシ、マイワシ、サッパ、マダカ、ヒラメ、アジ、メバル、マダイ、クロダイ、ヘダイ、カマス、メジナ、ベラ、カワハギ、ハゼ、ボラ、コチ、シマアジ、サバ、カンパチ、ヒラアジ、キス、フグ、エイ、イサキ、タナゴ、サンバソウ、セイゴ、カサゴ、タチウオ、コハダ、コノシロ、アイゴ、アナゴ、カニ、であった。全部で四十種類の魚を釣り上げていたのだ。両手くらいしか知らなかった魚の名前も魚体を釣り上げていくうちに、ぼくはどんどん魚の名前を覚えていく。もちろん、魚のサイズは大型ではないが店に売っているものより幾分小さい程度といっておく。また、ぼくの家の食卓は、魚に欠くことがなくなった。週のうち五日は晩御飯に魚が出てきてしまうはめになったのだ。日、月、火、水、木、これには参っているが仕方がない。これはどうしようもないことで責任はぼくにある。
食卓の前で、いただきます、と両手を合わせたあと、ぼくは懲りもせず今度の週末の釣りを楽しみに(もう魚は食べたくないけど)、釣り上げた絶品の魚を胃袋におさめている。