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足助病院コラム

Asuke Hospital column

2020/06/16 

Vol.83  「マスク考」

執筆 足助病院職員

診療協同部兼薬剤部長 野村賢一

新型コロナウイルス感染拡大を防ぐためぼくはこの3か月半マスクを着用し続けて来た。
1日10時間以上のマスクの着用が普通となり、この感覚に慣れて来ると、自分の吐き出す息を感じながらもバリアーの中にいるような安心感を覚えるようになった。
心地よい湿度があって、PM2.5も花粉も恐れなくてよく(この文章を書いている5月末ではやはり暑苦しくなったが)、スーパーマーケットのレジの人の列の中にいても自分を保つにはマスクを着用している方が未着用の時よりしっくりするようになった。
ところで、この自らを保つ感覚はいったいどこから来たのだろうか。
哲学者でも民族学者でもないぼくの意見であるので話半分以下で聞いていただきたいが、外国人から見ると日本人は規律を守ることや自制することが上手な民族であり、政府からマスク着用の要請が出ると、己が他人を感染させないようにする連帯意識の表れとして、皆一同、号令にならうかの如く素直に順応する習慣があるらしい。
日本人は欧米人がするビズやハグやフレンチ・キスで親愛感を表し他者との距離を保つ行為はしないが、お辞儀やあいさつで他者との距離間を保ち生活を営んできた。
この違いは欧米諸国では陸続きのため隣国からの侵入や攻撃を受けやすく、そのため彼らは肌と肌をくっつけ合い敵意のないことを表明したうえでコミュニケートする必然があった。
だが、日本は周囲が海でかつ島国であるので他国から侵略を受けることはなく、精神的文化では、わび、さび、茶室でのストイックな立ち振る舞いをよしとする、他者とのソーシャルディスタンシングをその中で培ってきた。
地理や歴史や文化の違いから日本人と欧米人では明らかにマスクの着用文化の根っこの部分で異をなしているのである。
むろん、他者との距離を取るのだからそこには孤独に耐えうる力も重要視されているのではあるが。  
こう考えると、同じマスクの着用でも各国の国民性によって大きく心構えに違いが出てくることが分かってくる。
グローバリゼーションとかインターナショナリゼーションで経済成長しているにも関わらず、肉体は日本人のご先祖様の遺伝子を引き継いでいるので、アジアの端の島国で精神が鍛えられた身として、有事の時にこそ、互いを想いながら自らを律しできる分、孤独をリスペクトしている分、孤独を愛している分、新型コロナ厄災が外国人より日本人で少数となっているのだろう。
確固たるエビデンスはないがこのように考察すると、長い時間をかけて自衛の精神を学んだ日本人だからこそ、感染爆発を防ぐことができているのかもしれない。
訪日外国人観光客の購買(インバウンド客)によるお金目当ての政策と東京オリンピック延期の回避のため、他国より新型コロナ対応への初動が遅れてしまった日本政府だが、喉元過ぎれば熱さを忘れる頃になると感染者と死亡者が欧米諸国よりも遥かに少ないことを手柄とする賞賛が政府より飛び出すかもしれない。
しかし、後日譚として日本政府が優秀なんじゃないの、と言われる前に、それよりも日本の歴史と国民が凄いんだよ、と言っておく必要がある。
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