コロナ禍が落ち着きつつある今、世間様より慎重な医療界ではありますが、徐々に学会もオンラインのみから現地参加+オンラインのハイブリッド、現地参加のみへと元に戻りつつあります。
立場上、現地開催があれば顔を出すのが礼儀なので自ずと出張が増え、今年の秋に関しては9月に仙台、10月に秋田と出かけて参りました。
今回、9月の仙台で少し足を延ばし、東北大震災の遺構を訪ね、職員と共に想いを馳せてきたので幾つかご紹介させていただきます。
最初に行ったのが、〝石巻市震災遺構大川小学校〟です。
2011年3月11日の東日本大震災の津波で、大川小学校の児童・教職員84名、大川地区全体で418名の方々が犠牲となられています。
当日は、他の団体さんに向けて被災者家族の語り部の方がその当時に状況を詳細にお話していました。
とても悲しくつらいお話でしたが、後世に語り継ぐことの大切さとご遺族の無念さが深く心に刻まれる訪問となりました。
医療従事者で院長でもある私は、是非訪れたいと常々思っていた雄勝病院が被災した場所にある〝雄勝地区診察慰霊公園〟です。
地震発災のその46分後に、雄勝病院の屋上をはるかにしのぐ16メートルの巨大な津波が襲来し自立歩行が困難な高齢者等の入院患者40名の命を守るため、一丸となって懸命に努力していた病院職員が、想像を絶する大津波に飲み込まれ入院患者と職員24名、計64名の尊い命が犠牲となりました。
公園に足を踏み入れ「このような究極の状況が現実にあるのだ」と深く黙祷しました。
最後には、〝東日本大震災遺構 旧女川交番〟に訪れ、東日本大震災における津波の引き波により、基礎の杭が引き抜かれ横倒しになり鉄筋コンクリート造の建物が津波で倒壊・転倒した交番を見学し自然の脅威に愕然としました。
自らの身の周りに視点を転じますと南海トラフ地震は避けては通れません。
気象庁のHPによると、「南海トラフ巨大地震がひとたび発生すると、静岡県から宮崎県にかけての一部では震度7となる可能性があるほか、それに隣接する周辺の広い地域では震度6強から6弱の強い揺れになると想定されています。また、関東地方から九州地方にかけての太平洋沿岸の広い地域に10mを超える大津波の襲来が想定されています。」
豊田市も様々な対策を検討し、「豊田市地震被害予測結果報告書(概要版)」等もHPに掲載されていますのでご参照ください。