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足助病院コラム

Asuke Hospital column

2024/01/11 

Vol.452 「寄稿文」

執筆 院長 小林真哉

八月下旬、我が母校の同窓会(瑞友会)からの鶯色のゆうメールが届きました。
内容は、医学部創立80周年を記念して医学部と同窓会で記念誌を作成するので寄稿してもらえないだろうかとの打診でした。
元々、文章を書くことは好きな訳ですし、とても光栄なことなので喜んで受諾いたしました。
そこでふと思いました。ん?『ということは、私の先輩である早川先生にも依頼は来ているぞ』と心して取り掛からねばと。

寄稿の依頼内容は「足助病院と大学との関連・関係・経緯・歴史・現況・現状」と「大学への想い・期待・希望」です。
ここでの問題は、「足助病院と大学との関連・関係・経緯・歴史・現況・現状」の部分です。
なぜならば、早川先生は大学の16年先輩、足助病院への関わりについては私の2004年からの約20年間に比べ1977年(おそらく初期研修医として早川先生は足助病院赴任されたはず)からの47年間のキャリアーを持つ御大なのです。
ある意味での足助病院および当院医療圏の生き字引なのです。

勿論、2004年に赴任し、2019年に院長就任してからについては唯一無二の〝想い〟を根底に文章を展開できるわけですが、アーカイブスについては少々勉強が必要です。
ここで、凝り性の私の出番です。
いろいろ過去の資料を集め勉強しましたのでご披露させていただきます。

私の手元に集積した資料は、〝平成16年度からの足助病院年報17冊〟、
〝足助病院三十年史、足助病院五十周年記念誌〟と〝愛知県厚生連三十年史、愛知県厚生連四十年史、70周年記念誌〟です。愛知県厚生連三十年史に至っては、620ページに至る大作です。
それぞれに、その時代の事象が盛り込まれた年表、写真、図譜が添付されていてとても興味深いものです。
特に足助病院年報は、平成16年(2004年)からですので、自分自身が足助病院に赴任してからの歴史そのものです。
それぞれの記念誌の写真には、懐かしい建物・医療風景・顔ぶれが映し出されていました。

改めて、年報、記念誌というものをじっくり読み、眺めていると、現在我々がこの地で医業を営んでいる意味を考えさせられました。

次号コラムはまず足助病院の母体であります愛知県厚生連の創生の歴史についてです。

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