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足助病院コラム

Asuke Hospital column

2024/01/22 

Vol.455 「厚生連70周年史」

執筆 院長 小林真哉

本日は〝愛知県厚生連70周年記念誌〟からです。
前号で足助病院誕生の歴史を先走って触れましたが、我々の母体である愛知県厚生連8病院および本部を含めた他の事業体についてです。
発刊日が平成30年(2018年)12月の5年前なので記憶に新しく、流石に冊子も新しいです。
平成30年時点と、50年誌からの20年間を網羅した内容となっており、コンセプトは、愛知県厚生連としての事業(移転新築、大規模増改築)を8病院それぞれの視点で触れ、将来への展望を示すことです。プロジェクトチームの熱意と想いのこもった刊行物となっています。
5年経って立場が大きく変わった身として読み返すことになりました。  
紙質を含めて写真の鮮明度等、格段の変化を認め、〝10年後の私〟の足助病院職員の投稿には更に成長したその5年目を目の当たりにしている私にはとても新鮮で素敵な物語として響きました。
足助病院の詳細は〝足助病院三十年史、足助病院五十周年記念誌〟について次コラム以降に触れますので、本コラムでは、昭和63年(1988年)から年表に厚生連の事業・医療環境・社会環境変化がまとめられており、平成4年(1992年)に医師となった私には、医師歴に並行する年譜となります。
自らのキャリアーと合わせて振り返ってみました。
平成4年(1992年)、私が医師になった年に厚生連は週休2日となり、バルセロナオリンピックの200m平泳ぎで競泳競技の最年少金メダル獲得記録保持者(14歳6日)の岩崎恭子さんが活躍しました。 
平成16年(2004年)、私が足助病院に赴任した年には厚生連組織としてコンプライアンスの強化が図られ、世の中は、新紙幣(福沢諭吉・樋口一葉・夏目漱石)が登場しています。
愛知では、セントレア空港が開かれ、リニモ開通、愛地球博(愛知万博)が開かれました。
翌、平成17年(2005年)はトリノ五輪で荒川静香選手が金メダリストとなり、エキシビジョンは〝You raise me up〟をBGMに銀盤を舞いました。〝You raise me up〟私が初めて修得したSax楽曲でとても思い出深いです。
平成19年(2007年)、豊田厚生病院が浄水に新築移転しています。
平成22年(2010年)、厚生連として東日本大震災に対してDMATなどの災害医療班を複数派遣しました。
平成23年(2011年)はなでしこジャパンが女子サッカーWCで初優勝を成し遂げました。
平成25年(2013年)、足助病院の改築工事が完工しました。
建築委員長として携わった私としては、感慨深い事業となりました。
この時期に、JR九州の豪華寝台列車:ななつ星in九州が運行を始めており、いつの日か乗車する計画を胸に温めている私です。
年表を眺めているだけでもとても楽しめ、かつてを懐かしく思えるコラム執筆となりました。

次コラムからは足助病院の年史からになります。

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