〝足助病院五十周年記念誌〟のpartⅡです。
平成10年(1998年)4月には早川先生が第8代院長に就任しています。
私と早川先生は大学で教員・学生という立場で1990年に出会っていますので、私が足助に病院に赴任する平成16年(2004年)までには14年の年月が経っています。
院長就任6年目の当時の早川院長には、生意気な私はどのように映っていたのでしょうか?
いずれにしても自由奔放に地域医療を学ばせていただきました。
今、私が在るのはどのような要因が関わったのか考えることもあります。
そんな時、かつての早川先生の言葉が思い起こされます。
『思い通り!だね!』、そんな想いで16歳の年の離れた私に次期院長のバトンを渡されたのです。
共に歩むことを止めない(止められない?)性格の好奇心旺盛で自己が大好きな2人なので、今しばらく並走していただこうかと…
『おいおい!私は73歳ですよ!』と言われるかもしれませんが、時々、『まだ、やれるかな…』と言われることもあります。
その時、私は心の中でつぶやくのです。『思い通り!ですわ』と。
その当時の、足助病院の陣容ですが、203床で4病棟を有していました。
現在のテーマでもある医療・福祉・介護サービスをシームレスに提供するDNAは以前より息づき、介護病床・訪問看護ステーション・在宅介護支援センターは平成8-9年にかけて展開されています。
職員数は、現在の約6割ほどの180人で頑張っていたようです。
この記念誌の他と大きく違ったのは、学会発表・論文業績に多くの頁が咲かれていることです。
正に早川先生の学問に向かう姿勢が如実に表れていると思います。
医師部門のみならず様々な部門が、発表・執筆しています。
この考え方は私がかつて大学で早川先生から学んだ姿勢に準じています。
内科部門の投稿では、私の大学の先輩方がそれぞれの専門分野での業績や想いを綴られています。
そのような記載の中には、医療技術の進歩やあらたなガイドラインの変化などが詳細に記されており、〝足助医学舎〟で医療系学生・研修医・専修医の教育に力を入れている現在の足助病院にもとても参考になります。
このコラムを書き始めた時に薄々気が付いていましたが、やっぱり、partⅡでは納めきれませんでした。
次号partⅢで〝足助病院五十周年記念誌〟は終了すべく頑張ります。
お楽しみに!