〝赤ひげ診療譚〟の第2話は、私たち(早川先生・小林)の専門分野でもある消化器内科の胆膵領域の患者さん関連から始まります。
『危篤状態の蒔絵師の六助の病状を診て、病歴から胃癌であると登が言うと
オランダ医学の専門用語「大機里爾」という言葉を使って
赤ひげは「違うぞ。この用語はお前の筆記にもちゃんと使っているぞ」と言われて、
登はぐうの音も言えず、自分の不甲斐なさを知る。』のくだりです。
当時の小石川診療所ではいわゆる入院患者さん・外来患者さんのみを診ているわけではなく、外へ出て行っての診察も積極的でした。
通称外診はかつて足助病院が行っていた鍬先診療であり現在の訪問診察・看護にあたります。
そして今は、在宅看取り・緩和ケア・ACP・看仏連携など繋がっています。
そして物語では、医療の限界と貧困・無知についても語られ、『人間の一生で臨終ほど荘厳な物はない』とも語られます。
我々の展開する〝終の住処〟にもつながりとても感慨深い作品です。
さて、「大機里爾」について掘り下げてみます。
私自身の医学部教育では出てこなかった記憶です。
文脈からすると疾患名ですが、流石に時代が違いますので当院の赤ひげが使っていた記憶もありません。(笑)
どうも、ルーツは1774年『解体新書』にまで遡らなくてはならないようです。
描かれた六助の病状および診察風景からは、現代の医師であると胃周辺の臓器の腫瘍を疑い検査を始め、胃カメラ・腹部CT・腹部超音波あたりの検査でほぼ診断に辿り着きます。
胃癌ではないとすれば、考えられるのは膵臓癌となります。
ただ、いわゆる画像診断機器もなく解剖の知識も不足している江戸時代に診断に辿り着くのは容易な事ではありませんので
人情・人格だけでなく医師としての的確な知識・技量を兼ね備えている姿として赤ひげは描かれています。
で、「機里爾」はキリールKlierというオランダ語で「腺」の意味だそうなので「大きい腺」「腺の集合体」を大機里爾と称した訳です。
そして、当てはまる概念の臓器が膵臓だったので大機里爾=膵臓として使用されていたのです。
最後に私と早川先生の専門領域は胆・膵内科ですが、「膵」がいわゆる国字、日本製の字であることをご存じでしょうか?
〝国字〟?
この辺りは次コラムをお楽しみに。