『足助病院は赤ひげのいる病院で、“医の源流”が流れています』
と様々な講演で最近は宣伝しておりますが、本日は表題の西洋医学の源流についてです。
この度、以前コラムで触れた長崎への学会出張に7月に行って参りました。
列車好きの私は当然、陸路長崎に向かいましたが、それにしても、名古屋駅も博多駅も人人人です。
人口密集のおかげで気温湿度共に上昇しているのではないのかと思う賑わいでした。
幸い出張中の天気は快晴でしたが、当然ながら気温は35度超でした。
今回の学会は長崎出島メッセで行われました。
出島と言えば我々がなじんでいる西洋医学の日本発祥の地ですので、本日は西洋医学の歴史の復習です。
日本に西洋医学が伝わったのは、ザビエルが渡来した1549年のこととされており、
1600年代にはオランダから、1800年代にはドイツから西洋医学が伝わり、日本でも西洋医学をもとにした診療・治療が行われるようになったのです。
長崎にはじめて西洋の医療を伝えたのは、
この地にキリスト教を布教したことで知られるポルトガル人伝道師、ルイス・デ・アルメイダとされます。
医師である彼は、1557年に大分市に日本初の病院を建て、九州全域において医療活動を行うなど、事実上西洋医学を日本に初めて取り入れた人物ですが、出島に渡航してきたオランダ商館医のケンペル、ツュンベリー、そしてドイツの医師シーボルトの名前が有名です。
西洋医学で、血液検査、CTやレントゲン内視鏡検査などの画像で体のどの部分に不調があるのかを探り、特定の臓器で起こっている変化を発見し、薬や手術で治療します。
科学的根拠に基づいた診断・治療を行う西洋医学ですが、
「病名がはっきりしない体調不良」への対応が難しい一面もありますが、近年は総合診療科による幅広い視野での診察・診断や漢方などの東洋医学を利用してより複合的な医療が施行されていますので、ご安心ください。
ちなみに、現在、足助病院ブランディングプロジェクトで展開している赤ひげのルーツは江戸の小石川診療所です。
赤ひげこと新出去定医師に師従する青年医師 保本登医師は3年間の長崎遊学を終えた医院見習医として登場します。
また、“赤ひげ”の活躍舞台の小石川養生所のあとは、古井戸しか残っていないらしく、現在は東京大学に属する小石川植物園の中にあるそうです。