先日、大垣市に学会出張してきました。
大きな学会では文化講演会が組み込まれていることが多く、
今回は大垣という立地もあり関が原に関わる興味ある講演会でしたのでご紹介します。
関が原古戦場記念館長 小和田哲夫氏による「書き換えが進む関ヶ原の戦い」の演題でのお話でした。
関が原の戦いの必然性から始まり、西軍・東軍の陣容や小早川秀秋の心情の解説、
169通に及ぶ戦い直前の家康の情報戦略などかつての学生時代の歴史の授業では聞けないようなお話でした。
その他にも、井伊直政・本多忠勝・黒田長政・浅野幸長・毛利秀元・吉川広家…の名前が出ていました。
吉川英治氏や山岡荘八氏の代表作は、ほぼ全て制覇している私にとってはとても有意義で懐古的な時間となりました。
親子で西軍・東軍に分かれた真田家や九鬼家の決断なども改めて思い起こしました。
資料として配られた小和田氏著『関が原から大坂の陣』から引用されている日本の白地図には
西軍東軍の武将が分けられて図示されているものはとても分かりやすく参考になりますので、是非、探してみてください。
因みに岐阜関ケ原古戦場記念館のホームページでは、
【慶長5年(1600年)、天下分け目の戦いとして名高い関ケ原の戦いがこの地で繰り広げられました。
そんな歴史の1ページを体中で感じられる体験型の施設です。
全国を舞台とした東西陣営を俯瞰できる巨大な床面のスクリーン「グラウンド・ビジョン」で心の準備、
続く「シアター」では両軍の激突を歴史的なシーンに迷い込んだかのような迫力ある映像で再現しました。
2階の展示室や陣羽織を着て戦国武将になりきって写真撮影ができる「戦国体験コーナー」など、
関ケ原の戦いを五感のすべてで味わってください】
とあります。名古屋ICから1時間程度ですので訪れたらいかがでしょうか?
近年は、外国の方々の来館者も増えているようです。
余談ですが…関東と関西を分ける〝関〟ってどこなんですかね?
ネットで調べてみると、「関東の由来は壬申の乱(672年)の時に設置された三関の東側に由来する」とありました。
また、関西は明治以降に関東に対応する呼び名として誕生したそうです。
三関の1つは、不破関(岐阜県不破郡関ケ原町)だそうです。
関が原の戦いは時代の転換点としての天下分け目ですが、関が原の地そのものは、地理上でも1つの分け目なのでしょう。