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足助病院コラム

Asuke Hospital column

2020/10/08 

Vol.143  「緊張」

執筆 院長 小林真哉

普段から人前で話す機会が多く、少なくとも外見上は緊張をしていないかのように思われる方の私です。
自ら作成したスライド等で自らの想いを話すわけなので、これらの準備段階の充実度が緊張感を減少させる要因の一つかもしれません。
自らのやってきたこと・やっていることを皆の前で発表することほど自らの理解を向上できる手段はないと思いますので、職員・若手医師には積極的に発表をしてほしいと勘案し働きかけています。
私の運営方針の2つ目の〝教育の場を提供する病院〟にはこのような意味合いも含まれています。
とはいえ、若い職員は緊張しますよね・・・喉がカラカラ・声がカサカサになって一生懸命に発表しているのはかつての自分を思い返し、とても健気で応援したくなる光景です、皆が通った道なのですから。
さて、コラムのタイトルが緊張とは、「それじゃ、だれの緊張ですか」との疑問がわくことでしょう。
実は、私自身なのです。ある講演会での出来事ですがいつも通り普通に講演会を始めたところ、1枚目のスライドのところでいつにない緊張感を経験しました。
そこで原因は何だったのかを考えてみました。
今回はリモート形式であったので全て自分で取り仕切り、いつの司会者との簡単なやり取りを省いて会を始めました。
言ってみれば準備運動なしに始めた感じですかね。
何度もやっているリモートによる講演会方式だったのですが、サブ画面にはとても真面目に緊張した面持ちで私の話を待っている面々が無音(無言ではなく無音)で並んでいて、開始の時に聴衆の気を感じられなかったからなのです。
その物音ひとつしない静寂の雰囲気・緊張感に一瞬飲まれたのでしょうね。
ライブはライブで緊張するのでしょうが、画面越しに無音で私を注視する目線はリモートならではの感覚ですね。
ライブのちょっとした息遣い、咳払い、イスを動かす音、資料をめくる音、におい、体感温度などが心の落ち着きをもたらすのではないでしょうか。所謂、体感ですね。
リモートの場合は、操作一つで消音にすればすべての気配が消えてしまうのです。
今後、リモートシステムも進化してこれらの臨場感も含んだバーチャルの世界に入っていくかもしれません。
それでも、音楽・演劇等の芸術と同様にライブならではの一体感・気が伝える側、受け取る側共に大切なのだと改めて考える機会となった緊張のひとときでした。
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