令和3年の足助病院のスローガンは〝自他を想う〟です。
自らを大切に想う人は他を大切に想い接することができるという仏教の〝自他一如〟からの言葉です。自身を認めていなければ他者を認めることなどできませんし、調和は自身を認めて他者を認めることから始まります。
本日は、少々、哲学的?難解な?話になるかもしれませんのでご容赦を。
最近、ある記事で〝他者と他人〟の概念の違いにつき論じているのに触れ、
そこでふと思いました〝自他を想う〟の他は他者なのか他人なのかと。
他者と他人の違いを皆様はご存じですか。
僕なりに解釈するに他者は〝相手を想いやる関係性〟です。
相手を深く想うがゆえに時には喜怒哀楽を過度に感じ舞い上がったり、落ち込んだりするのです。その関係性にはあまり損得勘定は介在しないわけです。
一方、他人は〝相手を思う関係性〟ですね。適度な距離感で、個々の喜怒哀楽に同調する関係性です。現代社会向きなのかもしれません。
※〝想う・思う〟の解釈については
〝コラムVol.93想う〟をご参照ください。
自分以外と他という大きな括りで考えると自分自身以外は〝他者と他人〟になります。かつての家族・親友・恋人が〝他者〟という概念は時代の変遷・生活スタイルの変化と共に、100%正解ではなくなったかもしれません。
鴻上尚史氏が著書の中で、
「どんなにわからなくて、難しいし苦しいし、ときどき悲しくて痛いことがあってもそれでもつながりたいと自身で試みている人が他者。それ以外は他人。」
と述べていました。うーん、深いですね。
ウイズ・アフターコロナで人と人のつながり方が大きく変革した今、皆様は多くの〝他者〟に囲まれて過ごしていますか?
自らにも深く問う、コラムになりました。