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足助病院コラム

Asuke Hospital column

2022/02/24 

Vol.274  「30年間」

執筆 院長 小林真哉

北京パラ・オリンピックも無事終了し、日本人選手団の活躍にコロナ渦で沈みがちな気分が勇気づけられました。
コロナに翻弄された期間と推察しますが、見事なパフォーマンスは日々の努力と精神力の結実したものと想い感動しました。

今年は大きなスポーツイベントが重なり秋にカタールでサッカーワールドカップが開催されます。オリンピック同様4年の一度の開催で視聴者数、参加数等の規模がオリンピックを凌駕し約350万人の観客を集め、延べ260億人がTV観戦する巨大な大会です。各国で繰り広げられている予選リーグまで含めるとどれだけ凄い規模なのかと思います。
コラム執筆中の現時点では日本代表は最終予選の真っただ中で残り2試合を残して2位ですので出場国32枠までもう一息です。予選の放映日はいつもハラハラ・ドキドキです。

私自身は学生時代に少々サッカーをたしなみましたが、かつての勤務先の病院内で見た1994年アメリカワールドカップ予選を鮮明に思い出しました。
1993年10月28日カタール・ドーハで開催されていた最終予選、日本は破れ「ドーハの悲劇」と呼ばれました。その年に日本にプロサッカーリーグ・Jリーグが誕生し、4年後の1998年フランス大会に日本は初出場を果たし現在まで出場し続けているのです。

そう、今日のコラムのタイトル〝30年間〟はここからつけた訳です。
私自身は1992年に医師になりましたのでこちらも約30年間です。
医学の扉をたたいた医学部入学から考えれば約36年間です。

長いようですが〝歳月不待〟と心得、精進していきたいと想いを新たにする機会となりました。

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