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足助病院コラム

Asuke Hospital column

2019/11/21 

Vol.59  「ペルソナ」

執筆 院長 小林真哉

先日、病院の職員旅行の一環で日帰りの劇団四季を観劇してきました。
題目は『パリのアメリカ人』で1952年にジーン・ケリーの主演でアカデミー賞を受賞した映画『巴里のアメリカ人』ベースとなっています。
若者4人の恋愛のミュージカルですが、バレーダンスが素晴らしくキャストはとても鍛えられていて、正にアスリートでした。
大変な努力をしているのだなと感銘を受けました。劇団四季のミュージカルは何回も観ていますが、どれも素晴らしく終了後に何度も何度もカーテンコールが鳴りやみません。
さて、今回のコラムの題のペルソナです。
劇団四季⇒ミュージカル⇒オペラ座の怪人⇒仮面=ペルソナと降りてきた訳です。
ラテン語で仮面を意味していて元々演劇で使用されていました。そこから、俳優が演じる役割の意味となり、変化して外から見た自分の姿を指す言葉になったようです。
ある解釈によると、『ペルソナは仮面にすぎない。それは仮象なのだけど、ぼくらはそれしか見ることを許されていない。そこからしか、考えられない。』ともありました。なかなか深い解釈です。
ペルソナの内面を推し量るのが大切なのだと。そしてその内面を充実させるのが大切なのだと。
ことばとしては、ペルソナは英語のpersonの語源とされています。更に「人格」 personality という言葉も、語源的にはラテン語のペルソナ persona に遡るようです。

ということは、人格 = 仮面 ? いやいや、日常的に人格は個性に似て非なるもののような意味合いで使われていませんか?

そこで少しばかり、人格と個性の違いについて掘り下げてみました。
そもそも「個性」とはその人の才能や天性や能力といったものを示しており、一人ひとりが特有にもっていて「他者と異なる能力」を指しています。
一方、「人格」は日常の生活で努力によって習慣化されるもので、万国共通、誰もが大切にしたいと思える「普遍的で道徳的な特性」で、所謂「社会が求める人の資質」のようです。

ペルソナ(日常生活においては、職種・肩書なのかもしれません)の向こうにある真の姿が大切なのですね。
なんだか難しい哲学的な話になりましたが、僕自身も足助病院長(ペルソナ?)という肩書の奥にある自分自身の個性・人格・風度を磨き、足助病院も個性・風度を更に磨かなくてはと想わされるコラムとなりました。
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